2010年11月01日

古書「影の国」

「いらっしゃい」
 薄暗い店内。石造りの短い階段を降りきらないうちに、奥の方から声がかかった。落ちついてはいるが、まだ若い男性の声だ。
 誰だろう、と奥を見てみると、カウンターの向こうに誰かが立っていた。
「あ、どうも……」
 遠慮がちに答えて、残り3段を下りきった。ぎっと床が鳴る。階段以外は板張りだった。どうにも薄暗いが、昼間の明るい光が店の中まで照らしていた。整然としている、とは言い難い。

 僕がこの街にやってきてからそろそろ2ヶ月が経とうとしていた。幻燈機[げんとうき]を通じて実在しないイメージを具現化する『幻燈[げんとう]』の力がまだ珍しいこの地方では、物珍しさも手伝ってか、駆け出しの僕でも仕事をもらうことができた。
 ただ、ここで請ける幻燈の仕事の中にはすぐにできないものも多くて、最近は空いた時間に街中をうろうろしては資料を探すことが多くなった。
 幻燈に必要なのは、正確なイメージを描き出す構成力と、余計なイメージを混ぜない集中力。
 集中力の方はともかく、この地方にゆかりのない僕には、リクエストされた時にそれが何なのかもわからないことがあった。知っているものでも、正確にイメージするのは難しいことが多い。
 それで、今日も資料になる本を探しにうろうろと街中を歩いていて、『古書 影の国』という小さな看板が目に留まったのだ。

 石段にも廊下にも、隅の方に本が積んである。適当に紐でくくっただけの本がいかにも持ってきただけ、という風に置いてあるところも、あまり店らしくない。
 カウンターの手前にはかごが天井からぶら下がっているが、のぞき込んでみると中に入っているのは果物と野菜の模型。
 カウンターの正面は本棚になっていて、ずいぶん分厚い本がところどころ隙間を作りながら並んでいる。でもその手前、僕が今立っているすぐ右手には、薬棚のような、小さな引き出しを積み上げたような棚が置いてある。
「ああ、そこは上から2段が空いてて、3段目から5段目に絵の具、6段目は鉛筆、7段目が絵筆で、8段目と9段目は栞が入ってます」
 僕が不思議そうな顔で見ていたのが通じてしまったんだろう、さっきの男性の声が教えてくれた。
 声の方を見ると、真っ白なワイシャツに黒いスラックス、というピシッとした格好の男性がカウンターから出てくるところだった。眼鏡をかけているので落ちついて見えるが、思ったとおり、まだ若い。
「本屋さん、なんですよね?」
「元々は、そうですね。最近は私の趣味の物を置いたりお客さんのリクエストに応えたりしてて、段々雑貨屋になってますけど」
 奥の方はもう少し本屋っぽいですよ、と言って、ここからは本棚の陰になっていて奥の方を指し示した。
「あの、この辺りの風俗とか習慣とかを図入りで説明してる本とか、ありますか?」
「この辺りの?」
 彼は意外そうな顔をして、奥の方に歩いていく。僕もそれについていった。
 奥にはランプが下がっていて、オレンジ色の柔らかな光に満ちていた。思ったよりも広くて、喫茶店のようなテーブルがいくつも並び、それを囲むように本棚が並んでいた。
 表の光もうっすらとしか届かない幻想的な部屋の中で、彼は部屋の奥の方にある小さな白い本棚の前にかがみ込んでいた。
「うーん、あ、こちらにどうぞ。この辺に置いてあるのが――」
 僕が小走りに彼のそばに行くと、彼は僕の腰までくらいしかない本棚を指し示して言った。
「この地方に関するガイドブックや古い伝承の本なんですが、そもそもそれほど観光に熱心な地方でもないこともあって、それほど点数はないんです」
「いえ、図入りのものがあれば大丈夫です。ありがとうございます」
 僕は彼がさっきしていたようにしゃがみこんで、本を1冊1冊取り出して中を眺めた。彼はしばらくそばにいたが、気がついたらカウンターの方に戻ったのだろう、いなくなっていた。

 棚の中の本を半分ほど見終わって、僕は思わず立ち上がってのびをした。大した時間でもないのに、体が縮こまってしまった。ふと視線を落とすと、白い棚の上には陶器の人形が、公園で遊んでいるようにいくつも並んでいた。
「いかがですか?」
 声に振り返ると、彼は銀色のトレイにコーヒーカップを載せて、にっこりと笑った。
「いくつかよさそうなのがありました。まだ半分くらいですけど」
「そうですか。それはよかった。これ、サービスです」
「え?あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。新しいお客様はあまり多くないんです。この店」
 彼は音も立てずにコーヒーをそばのテーブルに並べた。どこかのお屋敷か高級レストラン辺りで働いていたんじゃないか、と思うくらい、美しい所作だった。思わずじっと観察してしまったが、彼は気に留めた様子もなかった。
 コーヒーをありがたくいただくことにして、テーブルに座った。そばに買おうと思った本を4冊どんと置く。
 コーヒーを一口飲んでみた。しっかりとしたコーヒーの味が舌に広がり、豊かな香りが鼻をくすぐる。美味しい。
「図解入りの本がご入り用なんですね」
「はい。僕、幻燈師をしてるんです。それで、何かを頼まれた時にすぐにイメージできるように資料が必要なんですけど、他の本屋さんだとあまり売ってなくて……」
 彼は僕の向かいの席に静かに腰を下ろした。
「ほう。幻燈師さんなんですね。この辺りではほとんど見かけないですから、お忙しいでしょう」
「いえ、それほどでもないですけど……」
「かく言う私もまだ幻燈は人づてに聞いただけで、実際に見たことはないんです。あなたがいらっしゃったのなら、そのうち拝見する機会があるかもしれませんね」
 僕はそれを聞いて、さっきの本棚を振り返った。公園のような人形たちはこの辺りで作られた、特徴的なものだ。うろ覚えな部分を確認して、彼の方に向き直った。
 腰から提げた小さな幻燈機をそっと握って、彼の前のテーブルにさっきの人形たちをイメージする。特に印象に強い5つ分。そのイメージが、僕のキューで一斉に実体化した。
「ぅわっ……あれ、これって……」
 彼は急に目の前に人形が現れたのに驚いて声を上げたが、すぐにこの人形に気付いたようだ。本棚の上と同じ配置で並んでいた人形は、ハッと気付いたようにきょろきょろと辺りを見回した後で、ぴょん、と起き上がる。よちよち歩きで整列して、彼にちょこんとお辞儀をしてみせた。
「すごい……これが幻燈……」
 5つの人形はおもちゃを取り出したりボールを蹴ったりしてひとしきり遊んだ後、バイバイ、とそれぞれに手を振って、端から順に消えていく。最後の人形が煙も残さずに消えてから、幻燈機から手を離す。
「お粗末様でした」
「すみません、なんだか催促してしまったみたいで……でも、ありがとうございます」
「コーヒーのお礼です。このコーヒー、すごく美味しいです」
 そう言って、もう一口。

 結局その後は彼と世間話をしただけで店を後にした。また来ればいいと思ったし、また来たいと思った。続きはその時でいい。
 今夜の仕事まではもう少し時間がある。僕は一度家に戻って、買ったばかりの本をじっくりと読むことにした。

+based on the world of [幻燈師シリーズ ボクの創る世界]+

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2006年08月21日

第二部 序章

 ミーンミンミンミンミー……ミーンミンミンミンミー……。

 屋上の日射しは強かった。明日から夏休みに入る、という日。手に持たされた宿題の重みも忘れて、皆1ヶ月半の休みを前に浮かれている。
 私もその1人だ。だから、たった一月のお別れの前に、暑いのを承知でこんなところに寝っ転がっている。制服もしばらく着ないのだから、多少汚れたって構うことはない。

 あの日も暑かった。蝉の声がうるさくて仕方がなかった。それでもここに上ってきたのは、手紙で呼び出されていたからだ。去年の7月13日、期末テストが終わった日だった。
 告白劇はほんの数分で終わり、私は帰る気にもならなくて、屋上に寝っ転がった。その時、たまたま彼が残って私が帰っていたら、私が彼と付き合っていたら、誰かがその時上ってきていたら。
 全てが変わっていたに違いない。

 私がいて、他に誰もいなかったから、彼女は私を選び手を取ったのだ。彼がいたら、彼が選ばれてサイラークへ行ったのだろう。
 もし誰もいなかったら?
 彼女はいつものようにありきたりな悪態をつきながら校舎をうろつき周り、「適当な人材」を求めたかもしれない。すなわち、「最初に月の神官と視線を交わす者」を。

 彼女が人の少ない校舎をぶつぶつ言いながら歩く姿を想像して、可笑しさがこみ上げてきた。あまりにも彼女らしかったし、それがまざまざと想像できてしまったのだ。誰もいないのをいいことに、声に出して笑った。
「シェリルだわ」
「お、よく気づいたな」
 独り言に返事が返ってきた。思わず飛び起きて、声のした方を向いた。赤い髪、青が基調の重そうなトーガ。月の神官シェリル・シェーラはにかっと笑って言った。
「久しぶりだなトーコ、いや、黒き月。悪いがまた力貸してくれねーか?」

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2006年08月04日

板塀の道を抜けて

 夏の夜中。うるさいセミは寝付いたし、外はそれなりに涼しい。清少納言も「夏ってやっぱ夜よねー」とかなんとか言っていたような気がする。しかし、こんな時間に外を歩くのはそうあることじゃない。
 街灯の下で、持っていた葉書を見た。筆で手書きされているらしい地図では、もう少し行った先の公園に印がついていた。葉書といったが、そして事実それは葉書サイズの少し厚めの紙なのだが、正規のルートを通って届いたものではないのだ。無論、誰かに手渡されたわけでもない。
 起きたらそばに置いてあったのだ。住所も切手もないが、宛名だけは書いてあった。間違いなく俺の名前だった。しかも美しい字だった。裏面にはこの地図があり、『今夜25時、こちらまでおいで下さい』と、これも美しい字で書き添えられていた。
 誰に渡されたわけでもなく、差出人を示すものは何もなかった。捨ててしまってもよかったのだが、それでもなんとなくずっと持ち歩き、日が変わった頃合いに起き出して、こうして夜の散歩をしている。
 当然だがこんな夜中には誰もいない、と思ったが、意外にそうでもないらしい。車も走っているし、ワイシャツ姿の疲れた男とすれ違ったりする。……勤め人ってのは大変だ。

 公園にはさすがに人影もない。それほど大きい公園ではないが、遊具がいくつかあったり砂場があったりして、昼間は親子連れと犬の散歩でそれなりに人が多い。しんとしているのはさすがに夜だけだ。
 腕時計は、集合時間の20分前を指していた。ちょっと早過ぎだ。何が起こるとも知れないが、ベンチにでも座って待とう、とベンチの方を向いて、思わず体が硬直した。人がいた。
 入り口の方からは見えなかったが、白い和服を着た女性がベンチに座っていた。寝ているのかいないのか、目を閉じて動かない。膝に何か抱えていて、細い棒のようなものが脇にはみ出している。
 どうしたものかと思ったが、数秒迷って、近づいた。彼女がこの葉書の差出人であるかもしれない。
 そばに寄って口を開きかけたとき、不意に彼女が目を開いた。思わず驚いた俺と目が合う。と、彼女は俺の持っている葉書に視線をやって、破顔した。
「あら、ずいぶん早いんですね。お若いのに……」
 自分はもっと若いんだろうに、そう言ってコロコロと笑った。
「あ、じゃやっぱりあなたがこれ……」
「ええ。私がお渡ししたんです。すみませんけど、時間までもうちょっと待っていただいていいですか?今日はあと4人来られることになってますから……」
 そう言って、彼女は俺に隣に座るよう促した。呆気にとられて頭が回り出さないまま、とりあえず俺は腰を下ろした。ふわりとかすかな香りが届いた。彼女の香水か。
「私、結衣と申します。今日の案内役です」
「あ、俺、三田村義弘です」
 つられて挨拶をして、頭を上げてから、彼女が書いた葉書に俺の名前が書いてあったことを思い出した。ようやく頭も回り始めたらしい。
「あの、今日の、って、今日はなんで呼ばれたんですか?」
「え、ご存じないんですか?」
 結衣さんは本気で不思議そうだ。……知ってるはずのことなのか?
「ええ、なんとなく来てはみたんですけど」
「……」
 どうやら知ってるはずのことらしい。でも今日何かあったという記憶はないし、この葉書に書いてある以外に何か聞いたり見たりした覚えもない。
「ええと、こう言うのも何ですけど、あなたは――」
「あのー」
 誰かが横から急に割り込んできた。呑気そうな爺さんの声に俺は思わず非難がましい視線を向けた。
「あんたが案内人の方ですかいな」
「あ、私です。結衣と申します」
「おお、かわいい案内人さんですな。では、よろしく頼みますわ」
 爺さんは今日のことを知っているようで、旅行に行く前のような調子で言った。結衣さんもツアーガイドのような風情で笑顔を見せている。
「で、ですね」
「あ、はい」
 結衣さんがこちらに向き直った。
「結論から言いますと、私はこれから義弘さんを含めて5人の方を、黄泉の国へご案内します」
「黄泉……つまり死ぬってことですか!?」
 あまりのことについ声を上げたが、結衣さんは微笑んで首を横に振った。
「もうあなたは既に亡くなられてますよ。今日のお昼間、事故に遭われたのを覚えてませんか?」
「事故……」
 事故、と言われて、ようやく少しずつ思い出してきた。昼間、バイトに行く途中に、隣を走っていた車にいきなり横からぶつかられて、ド派手にこけた。そして――
「……あれ?こけて、それから……」
「対向車線に飛び出してしまい、トラックに轢かれたんです。ヘルメットにすごいヒビが入ってましたよ」
「……ぅぉ……」
 想像しただけで気持ち悪い。そう言われてもその時のことは思い出せないが、たぶんそうなのだろう。俺は、とっくに死んでいた。
「死んでた……ってことは俺来週のライブ!」
「?」
「うああああ出られねぇ!つーかバンド自体出られないじゃねーか!来週じゃ穴埋まんねーよ!」
「!?」
「おおおお……せめてあと1週間待ってくれたら……!」
 いきなり悶え始めた俺にさすがの結衣さんも驚いたらしい。かなり引き気味だ。
「あの……大丈夫ですか……?」
「大丈夫かどうかといえばきれいさっぱり大丈夫じゃないです」
「まぁその、お若いですから気持ちはわかりますが……」
 気を遣ってくれるが、ポイントが微妙にずれている。
「結衣さん、俺行くの1週間だけ待ってもらえませんか?来週の土曜の夜にまた来ますんで」
 俺のお願いに、結衣さんは少し悲しそうな顔をした。
「すみません、今日行く方は今日でないといけないんです。別に私が連れていったら亡くなるわけじゃなくて、もう亡くなってますから、今日行かないとこのまま亡霊になっちゃいます」
 一瞬亡霊でも何でもいいや、という気になった。それを察知したのか、少し慌てた様子で言った。
「あ、ダメです。亡霊になっちゃったら黄泉の国に入るのに一度穢れを落とさないといけなくなります。火で焼いて、熱湯でふやかして、それからこそげ落とすんです。麻酔なしで」
「……じ、地獄じゃないですかそれ」
「そうです。地獄は黄泉の国の大浴場なんです」
「風呂ならリラックスさせてください……」
「じゃあ洗濯場」
 ぐうの音も出ない。
「それに、そこに入るまでも大変なんです。成仏も自力でできなくなりますし。ですから、今日お連れします」
「はい……」
 心の中でバンドメンバーに土下座しながら、俺は頷いた。さすがに頷くしかない。
 不意に、周りの空気が変わった。
「あら、時間ですね」
 結衣さんはそう言って、膝に抱えていたものを手にした。引っ張り上げると、ぱたぱたぱた、と小さな音を立てて広がっていく。提灯だった。中に手を入れると、ぽっと火が点った。
 準備ができて、結衣さんが立ち上がった。俺も立ち上がりながら周りを見渡すと、さっきの爺さん以外にも人がいた。ご老体ばかりだ。まぁいいことだろう。
「皆さん、お待たせいたしました。それではご案内しますので、ついてきてください』
 そして、浴衣姿で提灯を提げた結衣さんを先頭に、爺さん3人と婆さん1人と俺、というよくわからない一行は夜の町を再び歩き始めた。
 俺はこの町で生まれ育っているから、自分の行動範囲以外でも多少の地理はわかる。が、結衣さんの先導で辿っていく道は、すぐに俺の見覚えのない道になった。
 結衣さんは時々後ろを振り返って、迷子がいないか確かめるように俺たちを見回す。
「もう少しです。ちゃんとついてきてくださいねー。ここではぐれちゃったら、ちゃんと成仏できませんから」
 怖いことをにこやかに言って、再び歩き出す。いつの間にか青白い鬼火が彼女の周りに漂い始め、提灯でオレンジ色に染め上げられていた彼女の肌が、本来の透き通るような白い色を取り戻した。
 一歩一歩、一行は黄泉の国へと進んでいく。前を歩く結衣さんのうなじの白さと、時折視界を通り抜ける鬼火の青さに、頭の中が少しずつ空っぽになっていく気がした。
 たまに横道がある、まっすぐな板塀の道を進んでいく。戻ろうか、という迷いはもうない。仲間へのすまない気持ちも消えた。
「そろそろですよー」
 結衣さんの声に頷いたときには、もう心は言葉になっていなかった。わずかに、スティックを握ったときの感触を思い出し、それも残り火のようについとかき消えた。

posted by alohz at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]ファンタジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

自動人形

 初めまして。当家の女中頭を務めております、フローレンス・ジルベルシュテインと申します。失礼ですが、貴方様のお名前をちょうだいしても――ああ、承っております。申し訳ございませんが、主人はただいま少々手が離せないと申しておりますので、応接間にてお待ちいただけますでしょうか。――恐れ入ります。それでは、こちらへどうぞ。ああ、コートをお預かりするのを忘れておりましたわね。これは失礼をいたしました。
 ただいま紅茶をお持ちいたします。少々お待ち下さいませ。

 お待たせいたしました。どうぞお召し上がり下さい。――はい?ええ、じき参るかと存じます。主人が参りますまでは私がお相手を務めさせていただきます。
 あら、主人が申しましたでしょうか。はい、間違いなく、私は自動人形[オートドール]でございます。ボディーは軍用の義体に主人が手を加えまして、勝手に AFG-03 と型番を振りました。ええ、もちろん登録されておりませんわ。本来の義体のパーツ以外にいくつものパーツを寄せ集めて作られておりますから。
 主人は私を悪戯心の具現と申しますわ。無駄な機能が付いているからでございましょう。――は?例えば、でございますか?そうですね、例えば私の左目には赤外線カメラが内蔵されておりまして、当家に入られる方々の荷物をチェックさせていただいております。――はい。申し訳ございませんが、貴方様のお荷物も確認させていただきました。主人は敵も少なくないものでございますから――お心遣い、痛み入ります。他には……私には人間のそれとほぼ同じ仕組みで体内の老廃物を排出するようになっています。――はい、そういうことでございます。本来は別の方法での除去も可能なのです。それをわざわざ残しておいたのです。特に何の役に立つわけでもございませんのにね。

 ――軍用の義体を使っている理由、でございますか。それは簡単ですわ。私に武装させるためでございます。現在は大したものは持っておりませんが、体内に火器を内蔵しましたり、対装甲車用の重武装を扱うのは一般の義体では難しいですし、出力や筋力も一般のものとはかなり離れております。戦闘に限ったことではなく、様々なことができます。
 え?あら、お詳しいのですね。お考えの通り、私には自動人形三原則は組み込まれておりませんわ。私の“本能”は2項目しかございません。いかなる状況下であっても主人の撤回のない限りその言葉に従うことと、常に思考し成長すること、この2項目のみが私の持つ絶対の鉄則でございます。――ふふ、私は感謝しておりますわ。自分の主を守る能力を、主人は完全な形で私に与えたのですから。
 確かに一般の方は不安を覚えられても仕方のないことでございますね。ですが、刺客に遠慮して止めることのできぬ護衛に何の意味がございましょう?私は今の主人のために生きることに満足しておりますわ。それに主人も私同様、野心や権力欲とは無縁の人間ですわ。貴方様もご存じかと思いますが……。ええ、ですから外から攻められぬ限り、私はただこの館を管理し主人のお世話をしているだけで満たされますわ。
 ――貴方様は聡明な方ですわね。私の忠誠を「愛」と表現した方はいらっしゃいませんでしたわ。おっしゃる通り、私は主人を愛しております。――私の行動は完全にプログラムで制御されておりますが、私の思考は“本能”に基づき常に変化し成長しております。既に主人も私の思考を、プログラムを辿ることで読み取ることはできません。知るのではなく、他の人間と接する際と同じく、判断しているのですわ。私の思考の限界を取り払ったのも主人でございますから、こうなることはわかっていたのでしょう。
 ――あら、主人が降りて参りましたわ。その、私からお話ししておいてこう申しますのもなんですが、今の私の話はご内密にお願いできませんでしょうか?――まぁ、ありがとうございます。――それは……恥ずかしいではございませんか。お茶を淹れ直しますわ。失礼いたします。

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2004年10月01日

図書館

 わたしが扉の前に立つと、石とも金属ともつかない、重そうな扉は音もなく左右に滑り、わたしのために道を空けてくれた。踏み込むと、冷たい空気にすぅっと体を包まれた。

……こんなとこなんだ、ここの図書館って

 故郷の街の図書館と違って子供の声がしない。さわさわとかすかなざわめきがするが、その言葉ははっきり聞き取れるほど大きくない。書架の方からは足音が少し聞こえる。中に入ると、すぐ左手にカウンターがあった。この大きな図書館には不釣り合いな、小さなものだ。眼鏡をかけた男性と小柄な女性が座っている。その背後には大きな大きな棚がある。引き出しは手のひら1つ半ぐらいだから、あれは検索カードを収めてあるのだろう。幅はカウンターと同じぐらいで、高さは私の背丈の3倍ぐらいだろうか。奥行きは正面からだとよくわからない。
 右手の方に書架が延々と並んでいる。座席は書架の間に1つ見える。あとは正面だ。やはり、広い。

初めての方ですか?

 柔らかい女性の声がわたしにかけられた。振り向くと、カウンターにいた女性の司書さんがわたしにほほえみかけていた。

……ええ。ここは広いんですね。

 わたしがそう言うと、彼女は軽くうなずいた。
 何か手続きでも必要なのだろうか。そう思ってわたしは彼女に近づいた。

……何か、登録とかいるんですか。

 彼女は一瞬、きょとんとしたが、すぐにまたほほえみを浮かべた。

いいえ、特に必要なことはありませんよ。初めてでしたら館内をご案内いたしましょうか?

 今度はわたしがきょとんとする番だったが、すぐに元の表情に戻して言った。

……いえ、自分で見て回ります。時間はたっぷりありますから。

 そう言う人は他にもいるのだろう。気分を害した様子もなく、それではごゆっくり、と言って、自分の仕事に戻った。手元に散らばったカードに台帳を見ながら書き込んでいる。検索カードは手書きなのか。思わず彼女の後ろにそびえ立つ――近くに立つと本当にそびえ立っている――カード棚を見上げた。気が遠くなりそうだ。
 ゆっくりと書架の間を歩いていく。しんと静まり返った書架の間で、時々立ち読みをしている人がいる。書架に並ぶ背表紙は装丁も言葉もばらばらだ。わたしには大半が何の本やらわからない。一応書架ごとに分類記号とその内容が掲示されている。
 わたしは書架の森を歩き続けた。人種も年もそれぞれな人々がそれぞれ自分の世界の中で本を読んでいる。書架は永遠に続くかと思えるほどひろかった。そしてその大半を書架が、すなわち本が占めているのだ。わたしの心は少し高揚した。

……ここなら。

 そう、ここならわたしの読みたい本はきっと見つかる。何しろここには地上の本は何でもある、天界に唯一の図書館なのだから。
 ようやく目当ての書架にたどり着いたわたしは、自分にもわかる言葉の本を1冊棚から出した。特に選んでなどいない。私に与えられた時間の枷は既にない。望む限りの時間を私はこの図書館に費やすことができる。わたしは近くの空いた机につくと、かつては手にすることもできないと思っていたその本を、開いた。

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2004年05月17日

Mr.Gone

 まるで半世紀前に逆戻りしたかのような見出しが連日、新聞の紙面に踊っていた。連邦が半年ほど前にテロリストの親玉として指名した男はいつまで経っても見つからず、それを誤魔化すかのように隣国に仕掛けた戦争で、代わりに暴君とされた男の首級を上げた。よかれ悪しかれ長を失った国は迷走を始め、連邦の兵士たちは次々と新たな敵を見いだしては銃を向けていた。
 そしてその戦地では、もっと露骨に連邦を非難する記事が次々と書かれた。あるものは非難するためにずいぶん誇張された内容だったが、大部分は調べられる限りの事実がそのまま載せられていた。代表的な日刊紙の紙面にも、見た限りでたらめはない。思わず、ぐしゃりと握りしめた。隣で同じ新聞を読んでいた連れが、不思議そうな顔でこちらを見上げた。

「おい、あれほっといていいのか」
「何でだ?」
 まだ若い兵士が同僚の肩をつついた。捕虜収容所で1日座っている同僚に会いに来たはいいが、想像もしていなかった光景が広がっていたのである。
「何でってお前……ジュネーブ条約知らねえのか。捕虜の扱いにゃちゃんとした国際規定があんだよ」
「いいだろ、別に。上の連中からの指示でな、こいつらを協力的にしてやれ、ってさ」
「協力的?」
「要は」
 そう言って一番手前の牢を指さした。中では3人の連邦兵士が捕虜を取り囲んでいる。捕虜は服を全て剥ぎ取られ、兵士たちはそれぞれ片手にナイフを握っている。1人は何故かカメラを構えていた。
「あいつらが持ってる情報を簡単に引き出せるよう、ちと脅してやれってことだ」
「……」
 兵士は、同僚の看守の横顔を見て唖然とした。目の前の光景を平然と見ていられるだけでなく、堂々とそれを正当化し、当たり前のことのように語る友人が信じられなかった。
「しかし……」
「う゛ぁぁぁっ!」
 言いかけた言葉は、奥の方から聞こえてきた絶叫で遮られた。はっとして奥を見やる。若き看守も思わず腰を浮かしかけた。すぐにがしゃぁん、と牢に体をぶつける音がした。追い打ちを掛けるように女性の声が響いた。
「ヘイ、いつ寝ていいなんて言ったの!?」
 なんだ、という顔で看守は椅子に腰を下ろした。友人の方を見上げれば、驚いた顔のまま半分凍り付いている。
「おい、どうした?」
「い、今のは……?」
「ああ、カレンだろ。いつものことさ。あいつ美人なんだけどちょっと乱暴なんだよなぁ」
 まるでここがハイスクールであるような言葉。おかしい、とは思わないのだ。そのことが、若い兵士には信じられなかった。結局、彼は逃げるように収容所を後にした。休憩時間はまだたっぷり残っていた。

 連邦本国に緊急の連絡が飛び込んできたのはそれから1週間後のことだった。兵士を数多く送り込んでいた某国の基地が1つ壊滅したというのだ。基地といってもそれほどしっかりした作りなのではなく、砦といった方がふさわしい簡易的なものだ。それでも通信機器や戦略施設など前線をバックアップする最低限の施設は全て整っている。その分狙われることも多いため、防衛にも十分な予算と人手を割いていた。それが落ちた。
「馬鹿な!犯人は、犯人グループはどこの連中だ!?」
「わかりません。現地からの情報はほとんどないんです。ただ基地が陥落したということと、犯人の中に我々と同じ人種が混じっていたということだけです」
いつでも冷静な秘書官の一言に、湯気が出るほど沸騰していた連邦首相の頭は一気に冷えた。
「……白人が混じっていたと?」
「はい」
「……なんたることだ……同じ白人があんな未開の部族に荷担して連邦を裏切っただと……信じられん!」
「ただ、未確認情報です。基地から脱出した兵士がそう証言しましたが、裏は取れていません」
 その言葉に、首相は素早く反応した。
「すぐに裏を取れ!周辺の基地からも兵を回してそいつらを捉えろ!」
「はい」
 一礼して辞した秘書官には目もくれず、首相はすぐに電話に飛びついた。その額からは滝のような汗が流れていた。あと数週間で統一選挙が始まるという時期に届いたこのニュースは、彼にとっては致命傷にもなりかねなかった。

「やれやれ」
 僕は偵察車「トバルA」の影に腰を下ろした。アークィも隣に腰を下ろした。
「オーマ、疲れたか?」
「まぁね。今回は人が多かったから」
 アークィは全く疲れを見せていない。銃と野戦用のダガーで1人1人叩いた僕と違って、アークィは体1つで数人を一度に相手していた。服を着てると少年とも少女とも付かないような小柄な体のどこにそんな力があるのか、わからない。いくら見た目と違って既に僕より5つも年上だとは言っても。
「人が多くて?」
「そうだよ」
 首をかしげるアークィ。それも当然のこと。これまでに行ってきた戦闘の中で今回は人数が多かったけど、不意打ちをかけたから単純に戦闘という意味ではそれほど大した規模ではなかった。むしろ機械兵が相手でないだけ楽だった。
 僕が疲れたのは、相手の戦闘能力のせいではなかった。
「あいつらは元々僕の仲間だった連中だからね」
「ああ、そういうことか」
 アークィはあっさりと納得した。彼女も僕と一緒にいるために仲間の下を離れている。その仲間たちと拳を交えることを想像したのかもしれない。実際僕にとって、連邦の基地を強襲するのは自分の家に強盗に入るようなものだ。覚悟を決めた以上迷いはないけど、知った顔がいればやりにくいことには変わりはない。
「大丈夫か?何ならここでもうしばらく休んでいってもいいんだぞ」
「ん、そうだねー」
 どうしようかな、と思っていると、アークィは前に投げ出していた足を折りたたんだ。そしてぽんぽんと自分のひざを叩いてみせる。僕は苦笑して横になった。何故だかは知らないが、最近の彼女のお気に入りだ。こうしていると僕も確かに落ち着くし、彼女にしても僕が手の中にあるので安心するのかもしれない。いくら隊内では常に一番小さかった僕でもアークィにとってはずいぶん大きいのだから。

 戦地から帰国した兵士を待っていたのは家族ではなく、廊下を埋め尽くさんばかりの報道記者だった。祝賀の花火のようにフラッシュが焚かれ、記者たちがマイクやハンドレコーダーを片手に我がちにと駆け寄ってくる。彼の焦燥した顔は、記者たちには非常にありがたい。戦地の厳しさ以上に、彼が負った運命を素晴らしく演出してくれるからだ。
 マシンガンのように浴びせかけられるインタビューを逃れてタクシーに乗った頃には、既に着陸から1時間が経っていた。タクシーの運転手は、自宅を告げた時に「かしこまりました」と答えたきり何も言わない。その無言がありがたかった。ぶつけられた質問の多くは、彼の傷を大いにえぐるものだった。何故あなただけが助かったのか、犯人の顔を見たのか、何人いたのか、先日送られてきた写真の送り主は誰なのか、それは真実なのか。
 家に帰ると、家族はただ温かく迎えてくれた。涙こそ見せたものの、助かったことを神に感謝しましょう、と言ってくれただけで、後は大学から帰省した時と同じように、自分の好物をたっぷりと作ってくれた。涙が出るほど嬉しかった。基地襲撃から1週間、どこにも居場所がないという感覚を抱き続けていたのが、癒された思いだった。
 軍法会議の議場で彼は何も話せなかった。ただ、犯人は出自こそよくわからなかったが、全員が現地のゲリラだったということにしておいた。白人がいた、という情報については、現地人にしては色が白かったからそう見えたが、よく思い返すと顔は違っていた、と釈明した。それで全ては終わった、と彼は思った。既に辞表は提出してあり、受理されていた。
 しかしその翌日に届いた分厚い封書を見て、真っ青になった。中から出てきたのは自分が撮った写真だった。捕虜を踏みつけにする女性兵士、ナイフ片手に大笑いしている男性兵士、全裸で縛り付けられている捕虜。半月前に見た地獄が脳裏に蘇った。
 パソコンに向かうことを決意したのは、そのさらに翌日だった。まずは数通のメールを書き上げ、かの地で奮闘しているフリージャーナリストたちに送った。もう1通、長い長いメールを書いて、一切のインタビューには応じないと付記してマスコミ各社に送信した。そして最後に1通、ほんの数行のメールを打って送った。全精力を使い果たしたようにぐったりと椅子の背にもたれたのは、書き始めてから半日が経ってからだった。
 翌日パソコンを開くと、フリージャーナリストたちからの返信が届いていた。それらに目を通し、返信すべきことを返した。真偽をまともにぶつけても相手にされない。どこを叩けばホコリが出てくるかは彼のような内部の人間の方がわかっている。マスコミ各社からも同様に返信が来ていた。想像通りインタビューをしたいという依頼がほとんどだったが、1通だけ違う内容が返ってきた。
「もしも本当にインタビューを望まれないのなら、せめて顔を隠してカメラの前に立ち、自らの声で語るべきではないだろうか。自分で撮影したものをウェブで流すだけでいい。真実は伝えられるべきであり、それにはあなた自身の声が必要だ」
 彼は財布を手に、家を出た。期待していた最後の1通に返信はなかった。アカウントが失われていないことだけが希望だ。

 砂漠の中から響いてきたエンジン音に、歩哨の兵士は怪訝な顔をした。今日は車輌の出入りはないはずだった。すぐに隣の仲間に合図を送って目をこらすと、ゆっくりと現れたのは連邦軍の自走装甲車だった。胸元のインカムで基地内部に連絡を取り、基地からその装甲車への通信を待つ。本当に連邦軍の自走車輌であればドライバーが残したメッセージがあるはずなのだ。装甲車は移動モードの速度で近づいて来、ゲートの前で規定通り静止した。
『当該車輌のドライバーは失踪したトマス・カミナガだ。メッセージは残ってないしこちらから指示ができない。緊急停止ボタンを押せ!』
「了解」
 インカムからの返事は予想していたものとは少し違っていたが、彼はすぐに指示を実行しようと装甲車へと近づいた。その瞬間、平時と同様に前を向いていた主砲が突然火を噴いた。轟音が2人の歩哨の耳を叩き、すぐに爆音が続いた。主砲発射の轟音と衝撃で思わず耳を押さえてかがんだ2人は、後ろから時間差をおいてやってきた衝撃波にもう一度たたらを踏まされた。それを見透かしたように、自走装甲車は再び前進を開始した。主砲が左右にゆっくりと動く。まるで次の獲物はどれにしようかな、と値踏みしているようなその姿に、歩哨の2人の背筋に冷たいものがはしった。
 その轟音を聞いた瞬間、基地内のテントの中でディスプレイを見ていたオーマとアークィも動き始めた。オーマは右手のコミュニケーターを一瞥すると、左手に握っていた銃を両手で構えた。アークィは何も持たないまま、テントの外の様子を窺っている。
「とりあえずこの周囲ではほとんど人がいないな」
「ああ。さて、ジェフ」
 オーマは後ろに立っている1人の連邦兵士に声をかけた。下着だけの格好にされてはいるが傷はなく、縛られてもいなかった。彼は曖昧に返事した。
「協力は感謝する。そろそろお別れだ」
「……お前は一体何のために――」
「行くぞ、オーマ」
 アークィの声に、オーマは無言でジェフのみぞおちを蹴り上げた。軍靴での手加減のない一撃に、ジェフは膝を折ってうずくまった。肺にまで届いた衝撃で声も出ない。オーマもアークィも、そんなジェフに一瞥もくれず、音もなくテントを出ていった。ジェフは猛烈な痛みに起きあがることもできないまま、突然現れた旧友の行動に疑問を投げ続けた。何故連邦に敵対するのか、何故捕虜の写真などに興味を覚えたのか、そして何故自分だけを生かしておくのか、と。人見知りで優しいが、親しくなると笑顔できついことも言う音楽好きの戦友の影はそこにはなかった。
 オーマは目に付く兵士を片っ端から撃っていった。アークィが手当たり次第にテントに飛び込むと、その入り口で周囲を見張る。やがて一列に並んだテントの群れが見えてきた。アークィが一番手前のテントの中に音もなく忍び込む。その入り口に背を向けて周囲を鋭い目で見渡す。と、テントの中から野太い歓声が上がった。
「……ここか」
すぐに歓声は止み、アークィがもこりとテントの入り口を割って出てきた。
「ここだった。他にも何人も捕らえられている」
「連中はどうした?」
「放っておいた。中には本当の犯罪者もいる」
 歓声を聞きつけて、隣のテントから兵士が出てきた。それをハンドガンの連射で仕留めると、アークィが素晴らしいスピードで隣のテントに向かう。オーマもそのすぐ後ろを追うが、さすがにワンテンポ遅れる。テントの入り口に着いた頃には、既に後から出てこようとした1人を殴り倒して、中に飛び込んでいた。既に見慣れてしまったが、人の体が吹き飛ぶところなど正視に耐えるものではない。周囲からも人が集まってきている。並んでいるテントのうち4つ、5つの入り口の布がまくれ上がった。オーマの精密射撃の射程は100mちょっとだ。奥の方のテントは狙いがつけられない。意識を近い2つのテントに集中して、隣のテントから出てこようとした兵士を射抜き、空になったマガジンを排出。次の装填を終えるとすぐにその奥から出てきて驚いている3人を仕留めた。
 自律進撃モードになっている自走装甲車もあちこちの施設をほぼ無作為に砲撃している。その音もあって、基地内は騒然となっていた。オーマもアークィのいるテントの入り口で張るのをやめて、周囲の兵士を手当たり次第に仕留めていった。テントから出てくる兵士はほとんどが丸腰だが、別のところから走ってくる兵士は全員が銃を構えている。オーマは元々自分が所属していた隊の軍服を未だに着ているので、最初の数秒は狙いから外れる。その間に銃を持っている兵士から順番に撃っていく。アークィはさらに次のテントを制圧しに飛び込んでいき、すぐに出てきた。
「オーマ、誰もいない」
「もう大半仕留めた」
 感情のこもらない声でそう言うと、すぐに次の兵士を撃つ。それを見て、アークィもオーマに背を向けて敵を探す。兵士が集まってくるのを見て、そちらに向けて突進していった。
「アークィ!銃に気をつけろ!」
「わかっている!」
 激したのではなくただ声を届かせるためだけに大声を上げ、アークィも同様に意思を伝えるためだけに叫んだ。走り、撃ち、次々と兵士を屠りながら、3人の侵入者は一様に冷たかった。

 あらかた制圧した、と見てオーマはコミュニケーターに口を寄せた。
「戦闘態勢解除、警戒態勢に移行。基地内、収容所以外の状況を知らせろ」
『了解しました。警戒態勢にシフトします。旧タウルス基地内、収容所外に人がいます。人数4、ドライバートマスとの相対距離はそれぞれ01、02、07。武器の所持反応無し、有り、有り。サブドライバーアークィ、人物A、人物Bと呼称します』
「ウルズBの状況を知らせろ」
『ウルズBは静止しています。損傷率15%、主砲残弾数03、副砲残弾数01、側砲残弾数128。自己修復モードに移行しますか?』
「自己修復モードに移行」
『了解しました。ウルズB、自己修復モードに移行します』
 指揮車「アイズ」からの返事と一緒に、アークィが駆け寄ってきた。返り血で無惨な状態に見える。
「アークィ、怪我は?」
「ない」
 そう言ってくるりと回って見せた。それを見てから、すぐに視線を周囲へと配る。
「オーマ、どうした?」
「まだ残ってる。1人はジェフだ。もう1人いる」
 そう言うと、アークィもすぐに警戒し始めた。が、見つけたのはオーマの方だった。無言で銃を上げると一発だけ撃つ。小さく呻いて、最後の1人がテントの影でうずくまったのが見えた。2人が警戒しながら近づくと、黒人の兵士は痛みに顔をゆがめながら2人を見上げた。
「貴様……連邦の兵士が何故俺たちを襲う……」
 オーマは答えなかった。サイレンサーをつけた銃は静かに彼の額を射抜き、最後の兵士は崩れ落ちた。
 弾薬を取ってしまおうとすると、ぴぴっ、とコミュニケーターが鳴った。
『収容所から人が出ました。相対距離04、人数8、武器の所持反応無し。捕虜集団Aと呼称します』
「了解。捕虜集団Aが相対距離02まで到達したら再度報告せよ」
『了解しました』
「檻から逃げた?」
「ああ。使える武器も一部落ちてるだろう。襲われそうになったら逃げる」
「わかった」
 2人は収容所の方向をじっと見つめて待った。程なく、人影が近寄ってきた。コミュニケーターがまたぴぴっ、と鳴った。見る限り2人の手に武器はない。その辺の死体の服を剥いだのか、片方は連邦の軍服を着ていた。アークィがオーマの前に立った。それを見てか、2人は多少警戒しながらも近づいてきた。オーマが銃をしまうと、表情が少し緩んだのがわかった。
「……お前、連邦の兵士か」
「今は違う」
 オーマは即答した。捕虜はそれには特に驚かずに続けた。
「俺たちを助けてくれたのはわかるが、感謝する気にはなれん。俺たちを襲ったのもお前たち連邦だ」
「感謝はいらん。ありがたがられたくてやったわけじゃない」
「そうか……お前はこの男の――」
「仲間だ」
 アークィも即答した。その表情には特に親しみも疎みもない。それを感じ取ったのか、捕虜の2人は2人に背を向けた。

 数日間、僕とアークィはアイズ経由でネットに接続して情報を集めたり、日課のトレーニングをしたりしながらじりじりと移動していた。近くに街が1つ。そろそろ食料を買いに行く時期だから、ちょうどいい暇つぶしになる。
「アークィ、買い物行こうか」
「ああ。オーマ、明日の朝は何を食べたい?」
「うーん……久しぶりに生肉の焼いたのがいいなぁ」
「あるだろうけど、買えるかな」
 アークィが近寄ってきて、僕の乗っているトバルAの天井にひょいと飛び乗った。最近戦闘のない移動にはトバルを使う。全体で動くと目立つし物々しすぎる。太陽光発電のおかげで燃料の心配がいらないのはありがたいが、それでも無駄にうろうろするのは避けたい。
 トバルAが走り出したところで、コミュニケーターが鳴った。
「何だ?」
『ドライバートマスのアカウントにメールが届いています。差出人はジェフリー・バイアード、件名はジェフより、です』
「読み上げろ」
『ようやく家に帰り着いた。マスコミはきついが家族はよくしてくれたから助かっている。トマス、お前はどうしてる?こんな写真を送ってきたってことは、俺にこのことについて何か動けってことなんだろうな。ジャーナリストとマスコミに情報を流すことにする。これに何の意味があるのかは俺にはわからないが、少なくとも俺の仲間があんな酷いことをするのを止めることはできると思うようにしてる。お前のことは一切伏せた。また会おう、戦友。以上です』
 アイズの機械音声が、淡々とジェフからのメッセージを読み上げる間、僕は身じろぎもできなかった。僕の言いたいことはジェフにはある程度伝わったことはわかった。そして僕に気を遣ってくれたことも。
「うまくいったみたいだな、オーマ」
「うん」
 アークィは僕に名前をくれ、必ずその名前で呼ぶ。僕の本名を告げた時に、苗字は「神永」という漢字を当てること、それは永遠なる神という意味を持っていることを言うと、彼女の言葉で同じ意味を持つオーマ、という名前をくれた。僕は神を信じてはいないし、アークィは話を聞くと森羅万象を神に例える原始宗教の徒のようだった。どちらも永遠なる神を否定しているね、と笑いながら言ったら、それでもいいんだ、私はお前に名前をあげたいから、と真剣な顔で言った。何故そうまでするほど僕を気に入ったのかはわからないが、彼女は侵略者の一味である僕に名前を与え、彼女が使える特殊な力の使い方を僕に教え、そして生まれ育った村の中で進められていた連邦への反攻作戦から抜けて僕と一緒に来た。
 そしてジェフは僕を昔のようにトマス、と呼び戦友、と呼んだ。目の前で仲間を数人撃った上に彼にも銃を突きつけて脅した僕を気遣い、そして意図を計りかねながらも僕の思惑通りに世界にこの国の情報、連邦軍の情報をばらまいている。不思議なことに、僕は敵同士であるはずの2人の人間に助けられて、連邦や先進諸国に対するジョーカーとして存在している。
「オーマ。これからどうする?」
 アークィが僕の顔をのぞき込んだ。
「どうするって、買い物でしょ?」
「違う。明日からどうする?」
 そこまで聞いて、ようやくアークィの言わんとしていることがわかった。僕が迷っていると思っているのだ。僕自身はとっくに愛国心を捨ててしまったというのに。
「とりあえずこっから少しずつ西に移動してって、スルージナにある基地を落とそう。あそこが西部へのミサイル攻撃の拠点になってる」
「……いいのか?」
「何が?」
 微笑んで返すと、アークィは何でもない、と言って寄りかかってきた。その優しい沈黙に感謝しながら、僕はアークィの肩を抱いた。温かい。

 前編:「Port of Entry

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2004年05月10日

Port of Entry

 眼前に延々と続く砂漠の中を、僕の率いる部隊は突き進んでいく。目的は単純だ。占領範囲の拡大、及び逃走した独裁者―元独裁者と言うべきか―の捜索。僕以外にも数人が命を受けて自分の部隊を動かしている。
 どうどうどう、と砂を蹴立てて進む一群の小型戦車と野戦用ジープの群れに、野生動物も近寄る気をなくしているらしい。あるいは、砂の中で寝ているところを踏みつぶしているかも知れないが、とにかく何の邪魔も入る事はない。先頭と最後尾は砲塔のない戦車のような偵察車が担当している。この2台の目は常に僕の部隊の周囲を探索し、敵軍の兵器はもちろん、人間や動物まで常に警戒している。前後2台が静かなうちは、僕らはただひたすらに目的のポイントまでひた走るだけだ。
 つい数時間前までいたこの国の首都はもう首を伸ばしても見えない。見る気も起こらない。正直、今は人とできるだけ会いたくなかった。この軍服を着ている間は、僕は連邦の兵士だ。この国で連邦の兵士に会った者が取る行動は2つしかない。独裁者を追い出してくれたのはありがたいが用が済んだらさっさと帰ってほしいと複雑な顔で見つめるか、敵国の兵として恐怖や憎しみの視線と石を投げつけるか。僕はどちらもごめんだ。だから敢えて期待されてもいないのがわかっていて、北方への指導者の探索を志願した。
 この国の北にある国は、この国とは主な宗教も主たる人種も異なる。ただ、この戦争が始まるまで、北の国は我が連邦の攻撃を止めようと努力していた。だからこそ北に逃げた可能性もゼロではない。ゼロではないが、限りなくゼロに近い。僕以外の部隊長は、それぞれ西にある故郷や南の盟邦に向かったと読んでそれぞれの方向に部隊を進めていった。無論、連邦軍としては誰も行かないで放置された首都の北方に万が一逃げていたとしたら大問題だ。志願した時、やる気がないと怒鳴られるかもしれないと思っていたが、むしろ僕の提案が渡りに船であるかのように、てきぱきと手はずを整えてくれた。
 ぴぴっ、というコールが僕を呼んだ。水平な指揮者の屋根に乗っかっていた僕は、仰向けに寝っ転がったまま手首のコミュニケーターに応答した。
「何だ?」
『前方に人がいます。相対距離03、人数1、武器の所持反応無し。人物Aと呼称します』
「人?この砂漠のど真ん中にか」
 腕時計大の通信機から流れてくる合成音声は、僕が乗っかっている指揮車「アイズ」のそれだ。僕は太陽の光を受けてくすんだ黄金色に輝く前方の砂漠に目を向けた。300mなら肉眼でもなんとか見えるはずだ。が、ぎらぎらと無遠慮に照りつける日差しと前の車が巻き上げる砂で視界が悪い。ポケットから小さな望遠鏡を取り出して目に当てた。友人が趣味で使っていたお古をもらったのだが、軍仕様のそれと同等の能力があってかつ使いやすいから、徴兵以来愛用している。
 前方の視界は砂埃でやはり悪いが、その中に人影があるのがわかった。倍率を少し上げてみる。人影は子供だった。顔の細かい部分までは見えないが、着ている服からしてこの国の子だろう。首都から命がけでここまで歩いてきた戦災孤児か。既に首都からは60km以上離れている。あり得ない。
『危険レベル、ミドル。ウルズAによる射撃を提案します』
「いや、射撃はするな。却下する。偵察命令。範囲は前方の子供の周囲05の地上及び地下」
『了解。周囲05の地上及び地下を探索します』
 アイズは偵察車と常に情報をリンクし、状況が変化すると、学習プログラムや実戦での経験から、最適と思われる行動を算出して提案する。危険レベルハイプラスと判断した時には提案無しで即時実行するようになっているが、相対距離300mで武器の所持反応がない事から中程度と判断したらしい。それでも威嚇射撃ではなく小型戦車「ウルズ」での直接攻撃を提案した。これだから僕はアイズの判断を基本的に信用していない。子供はドライバーかトリガーの可能性が高い。迂闊に撃ったら何が起こるかわからない。
 辺りにはこれまでと変わらぬ砂の大地が広がるばかりだ。本来機械はそれほど砂に強くないから、地下に隠れている可能性は少ない。が、様々なルートから兵器を集め、自国でも開発をしていたこの国に例えば砂漠戦に特化したスーツや戦車があってもおかしくない。殊に戦車の方は、最近砂漠などの局地でも運用できるよう、我々の連邦の方も開発・改良に取り組んでいる。砂漠と共に暮らすこの国にそういった技術や発想があっても不思議はない。地下の偵察を命じたのはそのためだ。
「……面倒だな」
 僕は呟いて体の砂を払うと、指揮車の中に戻った。そこから僕の率いる部隊に指令を出していく。大型戦車2、小型戦車11、偵察車2からなる僕の小隊は、2台の大型戦車を中心に滴型に隊列を変化させていく。進路は子供のいる少し左を通り抜けるよう変更。ただの滴型陣形ならいちいち下に降りるまでもないが、指揮車をもっとも右に出す変則型なので、一部の車には個別の指示を出す必要があった。
 その指示だけ出してしまうと、僕はまた屋根に上がった。子供はこっちをじっと見ているようだった。もう肉眼でもしっかりと見える。砂漠のど真ん中に立つその姿は、昨日まで見ていた街の子供たちとは少し様子が違う。
 昨日まで見ていた街は、針のむしろだった。正義がないと批判されてきた戦争で実際に敵軍の機械兵を破壊し、人間の司令官を捕らえ、あるいは殺してきた僕らに、街の住民は恐怖や憎しみをもって迎えた。
 この国の独裁者は最悪のリーダーだったはずだ。実際、彼がいなくなってようやく言いたい事が言えると話す市民もいるらしい。だがその独裁者を追い出すためにやってきた僕らは、その独裁者以下の山賊として捉えられていた。
 当然といえば、当然の事だ。5年前にこの国と別の国が戦争をした時、この国に人工知能付き戦闘車輌計五千台と弾薬を数万t無償で送った連邦が、今度は全世界にこの国は悪党の支配する蛮国であると訴えかけたのだ。同国人の僕が聞いても、呆れるぐらいに矛盾した言葉だった。しかし、世界は連邦の暴走を許した。
 ここ数十年の間に、軍の無人化は飛躍的に進んだ。特に早かったのが僕の所属する陸軍だ。戦車やジープなどといった以前からの大型、小型の兵器をネットワークで結んで指揮車から指示を出し、それと思考プログラムを組み合わせて自走する。地面に足がついているから思考プログラムのルーチンもそれほど難しくなかったのかも知れない。
 おかげで、僕の所属する陸軍第二師団は僕も含めて15名しか兵隊がいない。その僕にしても階級上は少尉だ。つまり、実質はどうあれ第二師団は将校のみという事になる。そしてその全員が僕が率いているのと同じ無人車から成る小隊を持っている。つまり全員がドライバーである、という事だ。ドライバーは連邦には軍人にしかいないが、少年少女をドライバーとして教育し、実戦に駆り出している国も存在する。子供の方が伸びが圧倒的に早いのだ。当然正規軍には編入されないが、特にテロリストや内乱を企む民間軍の中には少年ドライバーが相当数存在する。
 前方の子供に動きはない。残り100mを切り、顔かたちの判別までできるようになった頃、ようやく下からアイズの報告が来た。
『探索範囲に兵器、及び爆発物の反応はありません。人物Aの危険レベルをロープラスに変更。ウルズAの小銃による威嚇射撃を提案します』
「却下する。人物Aと相対距離0で全体停止。第二警戒態勢に移行」
 僕は念のために腰の短銃を手で探った。この戦争に駆り出されてから、たった一度威嚇に撃っただけだ。その後弾を補充してからは一度も抜いていない。続いてこれもベルトに括りつけてある長めの戦闘用ナイフを握る。僕の手元にある武装はこれだけだ。最後に、アイズ経由で全体に指示を出せるコミュニケーターをぽんと叩いて、視線を下に向けた。指揮車が静止すると同時に、僕はひらりと砂漠に立つ子供の前に降り立った。
「キミハ、ダレダイ?」
 慣れないこの国の言葉で問いかけると、彼は少し目を見開いたようだが、すぐに元の表情に戻った。
「あなたの国の言葉はわかる。私についてきてほしい」
 子供にしては落ち着いたかわいい声で、滑らかな連邦語が聞こえてきた。僕の背丈の半分とちょっとしかないような子供が、いくら世界の半分以上の国で準公用語扱いされているとはいえ、母語とは発音体系の違う連邦語をこれだけきれいに発音できるという事が、半ば信じられない。
「どこに行くつもりだい?」
「私の村へ。心配しないで。危ない目にはあわせない」
 彼は僕の目をまっすぐに見て言った。やはり、街の子供とは違う。彼らは僕ら連邦軍の兵士をこんな風にただ見つめたりはしないし、ある意味ではもっと子供らしい視線を向けてくる。今目の前にいる少年は、身なりこそ砂漠の民の子供の典型のような格好だが、雰囲気はまるで子供らしさを感じさせない。
「悪いが軍務中でね。政府の高官、特にセイグム・ヴェイズローを探しているんだ」
 僕は思わず自分の甥っ子でも一瞬戸惑うような言い回しを使ってしまった。が、それでもちゃんと理解できたようだ。
「彼はここにはいない。自分の故郷で最後の決戦をしようと考えていると聞いた」
「!」
 もしこれが本当だとすれば、余りにも重要な情報だ。一瞬コミュニケーターに目を向けて、思い留まった。既に連邦軍の小隊が1つならず彼の故郷に向けて捜索に出ているのだ。
「……つまり、僕は予想通り外れだったってわけか」
 僕の呟きに、少年は初めて首をかしげた。が、自分にはわからない事だと見極めたのか、すぐに話を続けた。
「彼が見つかればあなた方は本国に帰るのでしょう。その前に、一度私の村に来てくれないか。これから案内する」
「残念だけど、少年。僕はもう少しこの辺りを……」
 言いかけて、僕ははたと思い当たった。僕の小隊の役割は2つある。1つは先に言った旧政府高官の捜索。そしてもう1つは、都市の偵察だ。後に一度連邦軍の手でこの国全体を確保し、治安の向上や政治体制の統一の下地を作る為の下準備となる。公的にはそうだが、実際にはある程度地方の利権を見極め、連邦にとって利益の高そうな部分はあらかじめ確保しておくという狙いがある。
 彼の狙いは読めないが、もし仮に僕が殺されるような事になれば、生存反応が消えた事がアイズを介して師団本部に伝わり、同時に僕の小隊は全て僕の最後に反応のあった場所に集合し、師団の指示とアイズの判断で動く。最悪彼の村は焼け野原になるかもしれないが、それは自業自得だ。
「少年、ではない。私は少女だ」
「え?」
 唐突に少年が言った。少女……?ぱっと見た感じ、女の子らしい特徴はわからないが、これぐらいの年だと態度や服装で判断する面が大きい。どうやら、単純に僕の勘違いだったようだ。
「そうか、ごめんね。服装からじゃどっちからわからなくて」
「構わない。それより、来てくれるか」
 少し間をおいて、僕は頷いた。それを確認して、少女は初めて表情を少しゆるめた。
「そうか。ならついてきてくれ」
「あ、待って。こいつらは連れて行っていいかい?」
 きびすを返そうとする少女を呼び止めて、後ろの小隊を指さした。下手に物々しい連中を引き連れていって印象がより悪くなると困る事になるかもしれない。僕も別に死にたいわけじゃない。
「途中までなら構わないが、入り口が狭いからたぶん入れない」
「……なら、これで途中まで行こう。乗って上で道案内してくれればいい」
 僕は砂漠を歩くのには慣れていないから、あまり炎天下を無防備に歩きたくなかった。少女は少し考えていたが、ややあって頷いた。僕は少女に微笑みを向けると、指揮車の屋根の上に乗せてやった。僕も後から乗って、アイズに指示を出す。
「警戒態勢解除。第一移動隊形に移行し口頭での指示通り進行」
『了解しました。しかし、当初の戦闘計画から外れます』
「構わん。計画を変更する」
『了解しました』
「……この車の向きから見て、右手側に進んで。あっち」
 少女がすっと腕を上げて、砂漠の中のどこかを指し示した。
「わかった。アイズ、2時半方向に移動」
『了解しました』
 前方の偵察車「トバルA」から順に、進路をぐっと変更して動き出す。僕はこの時、自分が、そして隣にちょこんと座っている少女が後に何を為す事になるのか、全く知らないでいた。

 続編:「Mr.Gone

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2003年09月11日

黄昏間近

 待ちに待った夏休みの初日。本当ならじりじりと暑いはずの時期になっても今年はちっとも暑くならず、昼食をゆっくりと食べ終えた僕は、せっかくだからと目的もなく外に出ることにした。
 涼しい風が頬や腕を撫でていく。これも異常気象なのかもしれない。ここのところ、季節が段々とずれてきつつあるらしい。これまでは単純に暑くなる一方だったのだが、それによって海面が上昇し、海流の形や温度が変わったからだという。地域や時期によってはこれまで以上に寒さが厳しくなるところもあり、いろいろなところに影響を及ぼしているらしい。
 今のところ、ただの高校生の僕にまでは、そういった異常気象の影響は直接来ていない。それでも、異常気象ではないけれど、空気の汚れだとかで気管支喘息になった友達はかなり多い。僕はたまたま少々汚い空気でもちゃんと呼吸できるように生まれたから、特に不自由は感じていない。
 テレビを見ていると、どこどこ大学の先生とかが偉そうな顔で、人類の科学力のひずみが押さえきれない形で地球そのものに影響を及ぼしている、なんて語っていたり、環境系のNGOや政治団体が地球を守ろうというキャンペーンを打ち出していたりする。そういうものに、もちろん全然興味がない訳じゃないし、自分の住んでる世界が数十年後にどうなっているかわからないという状態では、興味を持たざるを得ない。
 街中を歩いていくと、だからどうしても「環境に優しい」とか「地球を守る」とかいう宣伝文句が目に付く。実際、環境によろしくない製品はどんどん売れなくなっているのが現状だ。未だに売れているのは、タバコだけ。未だに売れないのは、携帯灰皿だけ。

 興味を引かれるものもなく、無音のシュプレヒコールに埋もれた街を通り過ぎると、少し坂を上る。林を突っ切るような形で作られたこの坂道は、木がアーチになって道を守っている。だから、ここはいつでも薄暗いし、涼しい。それでも木のそばにいるせいか、少し空気がきれいな気がする。汚い空気でも大丈夫だけど、この坂道のすっきりした空気は好きだ。
 少し息が弾んできた頃に、左右の木々がすっと開け、街を一望できる丘に出る。いつも特に何事もない時にはここに来る。ベンチが置いてあったり柵がきちんと置かれている公園なのだけど、ここに僕以外の人がいることは珍しい。今日もいつも通り、人気はなかった。
 足下の街よりも、空を見上げる。今日は涼しさのわりに天気はすごくいい。今見て気付いたけど、本当に雲一つない。吸い込まれそうな青空、という言葉を実感できるぐらい、底の見えない空だった。

 しばらくぼうっと空を眺めていると、ふと空の真ん中に黒い点が見えたような気がした。気になって、目を細めてそっちの方をじっと見つめる。しばらく凝視していると、見えてきた。
 飛行機かな、と最初は思った。その点があるのは、本当に空の真ん中だったから。しかし、それにしてはあまりにも動きがない。
 続いて浮かんできたのはUFOだった。が、自分の中で即否定する。そんなの、あるはずがない。もしあったとしても、僕に見られるぐらい無防備に浮いているなら、とっくに軍のレーダーで発見されてるはずだ。
 他に納得のいく説明が出てこないうちに、点は段々とはっきりと、そして大きくなってきた。そして、少しずつこっちに近づいている気がする。点を見るために、首を少しずつ上げないといけなくなってきたのだ。
 近づくに連れて、スピードが上がってきた気がする。さっきまでは、ようやく認識できるぐらいの点だったのが、2、3秒かかってごま粒ぐらいになった。それが米粒になるのに1秒かかっただろうか。そして、『それ』の形が見えた時、僕は『それ』に視線を合わせたまま絶句した。
 それから数秒で、『それ』は僕の目の前の柵にふわりと着地した。きらきらと光の粒をこぼす長い銀髪、体にまとわりついた薄絹を幾重にも重ねたような衣、偽物の木にそっと立つ、抜けるほど白い裸足、同じく細くたおやかな指でしっかりと掴んだ、細かな彫刻の施された長い槍、そして何より、白鳥よりも白く輝く、6枚3対の大きな大きな翼。
 これまで、いろんなところで「天使」というものの絵を見たことがある。それはどれも、美しい人間に翼の生えたもの、という点では一致していた。そして僕の目の前にいる天使は、まさしく翼の生えた人そのものであり、そうでありながらそれを超えていた。
 長い銀髪は、ほとんど腰に届かんばかりに長く、束ねられもせずに流れるままにされている。その前髪が軽くかかったその顔は、震えるほどに美しく、また無垢だった。まだ17になったばかりの僕が見ても、あどけなさ、というか幼さを感じる。まつげは長く、足元を見ているのでまぶたが半ば閉じられているが、かすかに見える瞳は深紅だった。唇は薄桃色に彩られている。顔を見ただけでは、この天使は少女だ。それも、日本人の。
 体の線は、柔らかに体を包んでいる羽衣に隠されてほとんどわからないが、肘から先は、ほとんど大人の背丈ほどもある槍を軽々と持っているとは思えないほどに細い。右手は何も持っていないが、手の甲を覆う金色の飾りを付けていた。中央には大きな赤い宝石が据えられ、その周りを草のつるにも見える曲線模様が複雑に絡み合って、美しい幾何学模様を生み出している。
 ひざから下が露出した足は、女性らしい曲線を描いている。それでも足首は細く、なぜだか何もはいていない。普通はサンダルか何かをはいている絵がほとんどだが、彼女は裸足だ。左足だけで、子供の落下防止用に据え付けられた柵に静かに乗っている。
 そして、背中の後ろに見える翼は、片方だけでこの天使が手を思い切り広げたぐらいの長さがある。それを大きく広げて、風を受けていたのだろう。全身から浮力が失われ、落ち着いていく衣や髪と共に、翼もすうっと自然に畳まれていく。
 僕は尻餅をつくことすら忘れて、呆然と天使に見入っていた。それほどに天使は美しく、それと同じぐらい、神々しかった。僕は宗教にはまるで興味がなかったのに、目の前の翼を持った少女からは、思わずひれ伏さずにはいられないぐらいの存在感と圧倒感がある。それをしなかったのは、単に僕の体が言うことを聞かず、一心に彼女を見つめていたからだ。
天使がゆっくりと顔を上げる。その動きに気付いた僕は、無意識のうちに彼女の顔に視線を合わせる。その赤い瞳と、目が合った。瞳の奥には何の感情もない。表の無表情以上に。そんな気がした。
彼女は口を開いた。鈴のような声で、僕には理解できない言葉を呟く。僕は、聞き返すことはできなかった。左手に握られた槍がすっと掲げられ、その先端に白い光が集まっていく。天使はそれを見上げながら、右足でも柵に触れ、半身を捻った。視線を街の方に向ける。僕の生まれ、育った街。特徴も特産品もない、ただ街としてあるだけの街。背筋がぞくりと冷えた。僕の体が動く前に、天使はまるで指揮棒でも振るうかのように軽々と、光の集まった槍を振るった。
僕は、何故かそれを見ていた。故郷が一条の光で原爆でも落とされたかのような爆発と共に瓦礫と化していくのを。爆風で僕の背後に立っていた木々が悲鳴を上げる。衝撃で僕の足下の大地が鳴動する。爆圧で飛んできた細かな瓦礫やいろいろなものが、天使と僕を避けて飛んでいく。天使は再び槍に光を集めると、今度は街からこの丘へ通じる道の方に槍を振るった。再び爆発、爆風、衝撃。
 僕の視線は、失われた家よりも、悲鳴を上げる周囲の自然よりも、天使に注がれていた。相変わらず抜けるような青空を背景に、天使は槍を振るい、その度に爆発音が響く。それが全部で4回、繰り返された。
4回目の爆風が収まると、天使は翼を使わずに、背の低い柵から優雅に降り立つと、僕の方に近づいてきた。同じ地面に立つと、彼女の身長が僕よりもわずかに低いことがわかる。彼女は僕が腕を伸ばせばその細い肩が捉えられる、ちょうどその辺りで立ち止まった。
「選びなさい」
 そう言って、槍を持ったままの左手と、飾りを付けただけの右手を差し出す。このどちらかを選べ、というのか。僕は何も考えずに、自然に彼女の右手を握った。どきっとするほど冷たい手は、予想に反して僕の手を軽く握り返した。目を上げると、そこには変わらず無表情の少女がいる。目を通じて脳の奥まで見通しそうな視線に、僕は思わず後ずさった。
 少女は、また日本語でも英語でもない言葉で何か言うと、握っていた右手を離して、更に近寄ってきた。また後ずさろうとする僕の動きを、首の後ろを右手でそっと掴んで抑える。さっきはびっくりするほど冷たかった手で掴まれているのに、何故か首筋は温かい。
突然、猛烈な眠気に襲われた。首筋の暖かみがそうさせるのか、立っていられないほどの猛烈な脱力感が体を支配する。そんな状態で不意に引き寄せられ、僕は抵抗もできずに彼女の胸の中に抱き寄せられた。柔らかい体の感触だけは不思議にはっきりと感じながら、僕の意識は薄れていった。

『やはり、珠を持っていた』
 天使はそう呟いて、胸の中の少年の骸を放り捨てた。右手の飾りの赤い宝玉は少年の首筋に手を当てた時からずっと瞬いている。それが収まるのを待って、天使は再び翼を広げた。太陽はようやく西の空に傾きかけている。彼女の素足に、びりびりと大地の震えが伝わってくる。それをまるで気にも留めずに、彼女は地面を蹴った。
『黄昏が近い』

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2003年08月19日

Blue Light Dinner

 今年もクリスマスがやってきた。……と言っても、今の俺にはあまり関係のない行事だ。両親が親父の転勤で揃って九州に行ってしまい、独り暮らしをしている俺には、誰かから何かもらえる当てはない。かと言って、年下の子供や恋人がいるわけでもないから誰かに何かあげる当てもない。結局サークルのクリスマスコンパで潰れるのがオチか、と端っから諦めていた。
 が、現実は更に厳しかった。看板だけの弱小サークルである映画研究会の連中には、不思議とそれぞれに聖夜を共に過ごす相手がいるらしいのだ。要するに、飲み会などないということだ。他の友人も大抵は何かの用事が入っていて、女はもちろん男にもことごとく振られてしまった。去年は高校の頃の同級生で集まって騒いだのだが、今年はそれもないらしい。大学も2年目になれば、それぞれに人間関係ができあがるということか。
 というわけで、クリスマス2日間きっちりバイトが入った。バイト先も働きたがる奴が少ないのだ。同じくシフトが入っている男1人と女2人は、いずれも独身なはずである。斉藤……もう1人の男がどっちかと付き合ってるってことはないはずだ。いや、別にあってもいいんだが。
 幸せそうな家族連れから少しずつこれまた幸せそうなカップルへと客層がシフトしていき、こんな時まで男だけの団体が微妙に暗い雰囲気を醸し出しつつ過ごしているのを見ながら、クリスマスイヴを過ごした。……男共に関しちゃ俺も人のことは言えないか。
 いつもより時間的にも時給的にも多めに稼いで、俺はまだまだ明るいクリスマスの夜を歩いていた。もう日が変わっているのでクリスマスイヴは終わってしまっている。普段は貧相な枝振りの街路樹に絡みついた電飾とどの店先にも引っかかっている金銀のモールや小さなリースに挟まれていると、何となく周りのうきうきした気分が移ってきた。サンタクロースの服を着たサンドイッチマンが、どうせ俺と似たり寄ったりの境遇なんだろうが、クリスマスセールを叫んでいるのに行き合って、折角だからケーキでも買って帰ろうか、虚しくなるから止めようか、少し悩んでしまった。
 結局手ぶらでアパートに戻ってきた。どうせ明日には今日の七掛けで売っているからだ。ここまで来ると、さすがに町中の喧噪とはうって変わって静まりかえっている。割と子供の多い地域だから、既に電気の落ちている家が大半だった。
 1階の一番奥の部屋が俺の今の家だ。扉の前に立つと、ふわりといい匂いがした。
「?」
 俺の家は今日の昼からこっち無人だったはずだ。この匂いは有り得ない。これは、料理の匂いだ。それも、俺が今日たっぷり味わってきたような一山幾らの「食料」じゃない。もっとずっと高級な「料理」だ。控えめに漂ってくるトマトの香りに、思わず腹が鳴りそうになった。が、ここで萎えてはいかん。
 俺は慎重にゆっくりとドアを開けると、閉めないまま靴を脱いだ。奥を凝視しているが、何も異常なシルエットはない。普段通りのはずだ。そのまま、玄関の電気は点けずにじりじりと奥に入り、そっと手を伸ばして部屋の明かりを点けた。本棚、オーディオ、ノートパソコン、机、タンス。何も異常はない。ちゃぶ台も斜めに立てかけたままだ。
「お帰りなさいませ」
 どこからか聞こえてきた細くて高い声に、俺はびっくりしてその場で一歩下がった。壁に背を付けてなかったら、思いっきり背中をぶつけていただろう。それぐらいびっくりした。
 俺はそーっと首を伸ばして、死角になっていたキッチンの方をのぞきこんだ。ガス台に載せた覚えのない鍋が載っている。いい匂いはおそらくここから来ているのだろう。しかし、声の主らしき人影が全く……。
「あ、すみません。足下です」
 もう一度聞こえる声は、確かにかなり近距離、そして下の方から聞こえてきた。視線をゆっくり下にずらすと、俺の爪先から1mぐらいの所にそれはいた。
「……お前、か?」
「はい。初めまして。突然お邪魔して済みません。私はシャルロットと申します。見ての通り、ネズミの姿をしておりますが」
 そう言って、雪のように白いネズミは、器用に二本足で立ってぴょこんとお辞儀をした。俺はぽかんと口を開けたままネズミの口上を聴いていたが、はたと我に返った。きょろきょろと辺りを見回すと、自称?シャルロットの前にしゃがみ込んだ。
「……どうかなさいました?」
「失礼」
 特に意味はないがそう断って、ネズミをひょいと持ち上げる。きゃあ、とか細い悲鳴を上げるが、我慢してもらうことにして背中をさらさらと撫でる。
「や、あの、何なんですか!?」
 盛んに身をよじるシャルロットを何とか左手の中に閉じこめて、今度は首から腹の辺りを撫でる。
「きゃっ、やだ、そのっ……くくっ、くすぐったいですっ!きゃははっ!」
 体つきのせいかそれほど声は大きくないので、少々薄い壁のこの家でも隣に漏れることは無かろう。何をしているのかというと、こいつにスピーカーでも付いているのかと思ったのだ。が……。
「ふーむ、ちっちゃなスピーカーでも付いてりゃわかるだろうに……ねぇな」
「ありませんよっ!」
 もうくすぐってないのに笑いながら怒るシャルロットを解放してやると、一つ身震いをして、更に咳払いをした。
「誤解されてるようですが、別にいたずらじゃありませんよ。私はただのネズミじゃないんです」
「しゃべるネズミか」
 俺の言葉に、その答えは予想してた、という風でシャルロットは続けた。
「しゃべれるだけじゃないですよ。人間の姿にもなれますし、家事に関してはいろいろとお役に立てるかと思います。今はニコル様の家政婦と調理師をやっていますから」
「ニコル?」
「はい。それでですね、そろそろ本題に入らせて頂きたいんですが、その前に……」
 と言って、シャルロットはちょろちょろっとキッチンの所まで行くと、ころっと丸まった。ふとその姿がぶれる。ふと気が付くと、目の前には抜けるような銀髪の美人が立っていた。俺よりは少し年も身長も上ぐらいで髪は腰に届かんばかり、見えている手首から先や膝から下はたおやかに細い。それも、何故か今時ごく限られた場所でしか見ることのできない、いわゆる女中さんの格好である。俺は別にその服を見てどうということはないが、それでもすらりとした長身の美人がいきなり目の前に現れれば、少々どきどきするぐらいは許してもらいたい。
 その美人は鍋の置いてあるコンロの火を点け、軽く中身を温めた。再びふうわりとトマトのいい香りが部屋中に広がっていく。と、美人が鍋の中身を確認してきびすを返すと、壁に立てかけてあったちゃぶ台を軽々と持ち上げ、部屋の真ん中、定位置に置いた。
「どうぞ、先にお座りになっていて下さい。温め直すだけですのですぐできますから」
 そう言う声は、何となくシャルロットの声に似ている。おそらくは同一人物なのだろうから、声が違うのは声帯の大きさの差からだろう。俺は言われた通り敷いてくれた座布団に腰を下ろして、彼女が他に余分な座布団を出していないのに気付いた。
「さぁ、できましたよ。まずはお召し上がり下さい。その間に私がここにいる理由をご説明いたします」
 そう言って、ほかほかと湯気の立つ温かいスープを俺の前に出してくれた。スプーンもちゃんと出してくれる。……この人、俺がいない間に部屋の中に何があるか全部調べたんじゃなかろうな?
 スープを一口。熱さもちょうどよく、香り以上に豊かな味が口の中に広がった。
「……うまい」
「そうですか。ありがとうございます」
 嬉しそうにそう言うと、彼女―シャルロットはちゃぶ台の反対側に回って、両手を付いた。また姿がぶれ、気付いた時にはちゃぶ台の上に雪のようなネズミが一匹ちょんと乗っていた。
「それでは、改めまして本題に入らせて頂きますね。実は私がここにいるのは……」
「な、何ぃっ!?」
「え、あの、いや、まだ何も申し上げてませんが……」
 ちょっとした冗談だが、俺が身振りまで付けたせいか(ちゃんとスプーンは置いてある)少なからず慌てたようだ。……わりとよくある反応だと思うんだが、悪かったかな。シャルロットはまた咳払いを一つした。
「えーと……ここにいるのは、ですね。私の主であるニコル=ファーンズワースがあなたを夕食に招待したいと申しておりまして、それをお伝えに参ったのです」
「……質問していい?」
「ええ、どうぞ」
 俺はスープをもう一口飲んで、後味を楽しんでから訊いた。テンション低いように見えるが、後味がまた絶妙だっただけだ。
「まず、その……ニコル、なんとかさんて誰?」
「はぁ……あ、ニコルはこの街に住んでおります魔女の1人です」
「魔女っ!?」
 俺は思わず叫びかかった。なんとか叫びはしなかったが、無理矢理抑えたせいで何か変な声が出てしまった。シャルロットは、慣れているのか今度は慌てなかった。
「あ、魔女と申しましても、世間一般で言われている悪魔の手先、のような意味での魔女とは全く違います。確かに魔法、と呼ばれるような力は持っていますし今の科学では説明のつかない現象を起こすこともできますが、それは特殊な才能の一種で、言うなればスポーツ選手が他の人では不可能なほど速く走れたり力が強かったりするのと同じことです。例えば、私が短時間に人間の姿になれるのはニコル様、あ、その、ニコルが私に使い魔としての力を授けたからです。ですが私の仕事は基本的に家政婦ですし、今回はお使いに参りましたらちょうどお留守だったのと、スープをご馳走したかったのとで先にお邪魔させていただきましたが、普段は例え鍵が開いてると言っても勝手にお宅に入るなんてしませんよ」
 長々としたわかるようなわからないような説明を、スープを口に運びながら聞いていたが、最後に聞き捨てならない言葉が耳に引っかかった。
「……待って。鍵開いてた?」
「はい、それはもう」
 ……記憶をじっくり探ってみる。昼飯を食って洗い物を洗い桶に突っ込んで時計見て大慌てで鞄を掴んでコートをフックから外して靴を履いて……あ。
「……そりゃあ留守番どうも」
「いえいえ、とんでもない。ともかく、魔女と申しましても、普通の人とは違った力を持っているというだけで、世間一般に認識されておりますような危険な存在では決してありません」
 なるほど。それは理解した。が、まだまだわからないことだらけだ。
「なんで俺を招待?しかもわざわざクリスマスイヴの夜に」
「あ、申し訳ありません。今夜これからというわけではなく、明日の晩、夕飯をご一緒したいと申しております」
 夕飯……ひょっとして、このスープと同じぐらいうまい物がずらりと並んでくれたりするんだろうか。魔女、と言うぐらいだからひょっとしたらヤモリの丸焼きとか、我々が想像だにできないようなゲテモノを振る舞ってくれる可能性もある。……待て、明日の晩?
「クリスマスの晩飯俺と食おうっていうことか」
「はい。いつもは私他数名の使い魔がご一緒して差し上げていたんですが、今年は是非あなたと頂きたいと」
「そりゃー名誉なこった。けど、俺明日も午後丸々バイトだから、帰ってくるの今日と同じ時間になるぞ?賄い食わないと仕事になんないし」
 これは一応言っておかないといけない。明日は時期が時期だけにサボるにサボれないし、下手に休むと給料や首が掛かってくる。仮にも女性にそこまで言われると悪い気はしないが、下手すれば怪しげなお婆ちゃんと差し向かいで食事する羽目にもなりかねないのだ。慎重にならざるを得ない。
「あ、時間に関しては問題ありません。ちょうどいい時間にお迎えに上がりますから」
 簡単にスルーされてしまった。いいのかおい。スープの最後の一口を飲んで、もうちょっと考える。魔女……うーむ。毒食わば皿までとも言うが、怪しさ満点ってのが怖すぎるし……。
「とりあえず、ご馳走様」
「お粗末様でした。あ、後かたづけやりますから、そのままで結構ですよ」
「あ、ありがとう」
 ……俺、偉そうかな。
 結局、シャルロットがまた人間に戻ってスープ皿を洗ってくれる間も悩み続けたあげく、1つの結論にたどり着いた。
「シャルロット、表か裏かどっちがいい?」
「裏がいいですが、何ですか?」
 ぴーん、と微かに軽い音を立てて跳ね上がったコインは、俺の掌に裏を上にして着地した。決定。
「オッケー、招待されます」
「本当ですか?ありがとうございます。ニコルも喜びます」
 わざわざ鍋を洗う手を止めて、シャルロットは深々と頭を下げた。その後、大まかに予定を決めて、シャルロットは何故か窓から出て行った。
「……美味いもん食えたからよかったようなものの……マジか……?」
 さっきまでは気にならなかったが、1人になってみると、これまでの状況やらなんやかやが全て怪しく見えてくる。俺はしばらく無為に考え込んでいたが、止めにして寝ることにした。魔女がどうあれ、とにかく明日も働かなきゃいけない。

 25日はイヴの夜ほど忙しくはなかった。やはりカップルはイヴにこそ燃えるらしい。クリスマスのその日にはプレゼントを手にしてほくほく顔の子供がいるぐらいで、後はもういつも通りの客層に戻っている。それでも数が多いのは、学生が冬休みに入っていることとやっぱりこんな機会には外出したいという心理からだろう。昨日のことを思えば、それほど辛くはない。何故ならカップルが少ないから。うちの店に来るカップル男は不思議なくらい横柄な馬鹿が多いのだ。そうでない奴は大体が夜ファミレスに来ることも珍しいうぶな少年かごく一部の大学生ぐらいだ。うちの近所に横柄で馬鹿な男が多いというわけじゃないと思う。たぶん。
 閑話休題。とにかく終わった時の疲労感は前日ほどじゃなかった。各方面に挨拶をして、さて帰るかと店の裏手にあるドアを開けると、どこからともなく聞き覚えのある声がした。
「皓様、お待ちしておりました」
 ……後ろを振り返ったり、辺りをきょろきょろ見回したりしてみるが、誰もいない。空耳か?と思った瞬間に思い出して、視線を落とした。やはり、いた。俺の足下50cmの所に雪のように白い羽毛の塊、シャルロットが佇んでいた。昨日のは夢じゃなかったってことか……。
「ほんとに迎えに来たな」
「はい。それでは参ります。私の後に付いてきて下さい」
 そう言って、シャルロットはすぅっと移動した。辺りが暗いせいで、ぼんやりした白い塊が地面を滑るように移動しているように見える。俺は半分肝試し気分でその後について行った。裏通りを回って、普段俺が通っている大通りに出た。これまた昨日ほどではないにしろ、多くの人が行き交っている。そんな中を、シャルロットは少しスピードを落として、踏まれないようふわふわとよけながら進んでいった。俺もシャルロットを見失わないように注意しつつ、何回か人の肩にぶつかりながらついて行った。
 5分ばかり歩いただろうか、シャルロットが細い路地に入って止まった。俺が傍まで行くと、こちらです、と言って目の前のドアを示した。表通りに面したレストランの裏口、といった風情の扉だ。恐る恐るノブに手をかけると、あっけなく手前に開いた。その隙間からシャルロットがちょろっと入る。俺もぎりぎり必要なだけ開けて、中に滑り込んだ。
「……何も見えないんだけど」
「あ、少々お待ち下さい」
 と言って少々待つよりも早く、一部の照明が点いた。他の部分がぼんやりと薄暗いのに、ここから奥にある階段までの道だけが、浮き出るように照らされている。
「さ、どうぞ。ニコルは2階におりますので」
 そう言って、再びシャルロットが先導してくれる。階段はどうするんだろうとちょっと期待していたら、ぴょんと段に飛びつき、よじ登ってはまた飛びつく、を繰り返して一段ずつ登っていく。なんだか可笑しくなって笑いがこみ上げてきたが、頑張ってるのに悪いかなと思い直して笑うのは止めた。代わりにシャルロットの体を空中で掴んだ。
「きゃっ!?」
「あ、何も変なことしないから」
 そっと掌に乗せてやると、そのまま階段を登った。その方がずっと早い。手の中で、シャルロットが恐縮したような身じろぎをした。
「あ、……ありがとうございます……」
「どういたしまして」
 登り切ったところでシャルロットを下ろしてやると、彼女はちょろちょろっと奥に走っていった。電気はやっぱり点いてないが、どこから光が入っているのか、ここは十分に明るい。目を上げると、そこに少女が1人、テーブルに腰を下ろしていた。片方の膝を立て、目元に十字のブローチか何かをかざして、レンズを通して見るみたいにこちらを見ている。
「あ……来た」
 ぽつりと呟くその声は、見た目相応に幼かった。高校生ぐらいの年格好だが、顔立ちは3歳ほど下に見える。青っぽいワンピース、なのか?にマント、長いブーツという、これまた滅多にお目にかかれないような衣装だが……スカートの中……見えてるぞ、おい。
「おう、来たぞ」
 鷹揚に答えると、少女はちょっとびっくりしたような顔で右手に持っていた十字を下ろした。そして、ふと頬を緩めてテーブルから降りた。今まで尻に敷いていた、肩から下がっている黒いマントがふわりと揺れた。下の白い縁飾りが、何故だか色を間違えたサンタクロースを思い起こさせた。
「ようこそ。来てくれてありがとね。こっちどうぞ」
 にこやかにそう言って、片方の席を示してくれた。向かい合わせに2席だけしつらえられたそのテーブルには、角にリボンを配した薄紫色のテーブルクロスがかけられている。俺はそこに腰を下ろした。
「……で?」
「え?」
 彼女が席につくのを待って、問いかける。が、よくわかってないみたいだった。
「いろいろとよくわからねぇんだけど、説明してもらえる?」
「あ、うん。とりあえず、私はニコル・ファーンズワース。ニコルでいいよ」
 そう言ってにこっと笑う。俺も頬が緩みそうになるが、気を取り直して一応言った。
「俺は小林皓。知ってるだろうけどな」
「うん、知ってる。だから招待したんだしね」
「そう、それだ」
 俺はニコルに人差し指を突きつけた。いや、それほど勢いをつけたわけじゃないが。
「どうして俺をここに?俺は魔法も使えないし霊感もないぞ」
「こないだのお礼だよ。覚えてない?」
「何を?」
「私のこと。実は前に会ったことがあるんだけどな」
 俺は腕を下ろしてまじまじとニコルの顔を見た。不躾な視線に少々居心地が悪いのか、下を向いてしまったのも気にせず、視線はそのままに記憶を探った。少々癖っ毛気味の金髪で目鼻立ちははっきりとしているが、顔も言葉も日本人である。しかし、こんな綺麗な子覚えてないなんてことがあるか?こないだってことはそんなに前の話じゃないし、そうでなくても、お礼を言われるようなことをすればそう簡単に忘れはしないだろう。
「ダメー、時間切れ」
 俺の思考を打ち切ったのは、何の前触れもなく一方的に宣言されたニコルのタイムアップコールだった。不満げな表情を予想して顔を上げると、予想通りの恨みがましい視線が俺を待っていた。
「まったくぅ、こんな美少女の顔忘れるなんてどうかしてるわ」
 腹立たしげにこぼした一言に何となく力が抜けた。ま、いいけどさ。
「はぁ……。で、答えは教えてくれないのか?」
「ん……ま、いっか。しょうがない」
ニコルはまだ少々不満げな顔で言った。
「先週の……火曜日かな?公園で犬におっかけられてたの、助けてくれたじゃない」
「先週の火曜……あーっ!」
「遅いっ」
 それでようやく思い出した。確かに先週の火曜日、近道をしようと公園を歩いてたら犬に追っかけられてる女の子を助けた。その時は俺自身が急いでたのもあって、追い払った後お礼を言う彼女に軽く答えて、そのまま行ってしまったのだ。確かに、あの時追いかけられていた女の子はこの子と同じ顔と背丈だった。が……。
「何で髪の色がそんなにごっそり違うんだよ?」
「あぁ、これが地の色だよ。外に出る時は目立つから染めてるの」
「染め……?」
 そ、そんなに簡単にころころ色を変えられるものなのか?
「染めてるって言っても、薬使ってないよ。……見た方が早いか。クルル、ラト、ヴィ」
 ニコルは目を閉じると、ほんの一言、それと自分の髪を軽くさっと撫でた。それだけで、髪がさーっと黒く染まっていく。その姿は確かにこの間の女の子だ。変化のプロセスまで見せられると、半ば疑っていた魔女ということも信じざるを得なくなった。
「すげー……」
「ま、これくらいは中級魔術だからね。どってことないよ」
 言って、別の呪文を唱えると、髪の黒がざぁっと粒状に飛び散って消えていく。そこには、さっきの見覚えのある女の子から、金髪の美少女に戻ったニコルが微笑んでいた。どうやら俺の反応がよかったせいか、機嫌は直ったらしい。
「すみません、ワインをお持ちしました」
「あ、ありがと」
 振り向くと、人間に戻ったシャルロットが、カートをからからと押して来た。テーブルのそばにそれを止め、ソムリエよろしく俺とニコルにワインを注いでくれた。……なんか、本格的だな。
「それじゃ、ま」
「「メリー・クリスマス」」
 ちん、とグラスが鳴った。

 出てくる料理は、どれも素晴らしかった。昨日のスープも絶品だったが、さすがにレストランの厨房を握るだけのことはある。上等なワインと上質の料理を挟んで、俺とニコルは下らないことをしゃべり合った。俺がクリスマスイブのファミレスウェイターの悲哀を語れば、ニコルも高級であるために来たがる成金おやじをさんざんこき下ろす。俺が映研の話をすれば、ニコルは魔法についての簡単な話をしてくれた。
「……そういや、どうしてそれだけの魔力があるのに犬に追っかけられて子供みたいに逃げてたんだ?実際子供だけど」
「うるさいよ!」
 わざわざ手を止めて膨れてみせる。その辺りが子供っぽいんだけど、どうやら気付いてないらしい。と、むくれた顔のままぼそぼそと言った。
「昔ね、大きな犬に思いっきり追いかけられたことがあったの。まだちっちゃい頃だったから魔術で追っ払うこともできなくて、必死で逃げて……。結局お父さんが助けてくれたんだけど、それ以来犬ってダメなの。特にドーベルマンはダメ」
「なるほどね。追っかけられて嫌いになった、か」
「何か文句ある?」
 ワインのせいでなく頬を赤くして睨みつけてくる。それを受け流しながら、俺の苦手な物を思い出していた。
「いいや、別に」
 無論彼女にバラすつもりはさらさらない。ごまかして、ムニエルを口に入れた。とろけるような舌触り、レモンの酸味が利いた美味。最高だ。うっとりしている俺をじとっと見ながら、ニコルもしっかり食べている。
 そんなこんなで食事は終わり、デザートのシャーベットまで胃に収めた頃に、ぼーん、と柱時計が1つだけ鐘を打った。
「1時半か。ちょっと遅くなっちゃったね」
「仕方ありませんよ。晧様もお仕事があるんですから」
「先約じゃないしね」
 俺が謝るより先に話が進んでしまい、ちょっと口の挟みどころを失ってしまった。
「ところで、ニコル様?」
「ん?」
 シャルロットがぼそぼそと何やら耳打ちすると、ニコルははっとした顔をした。何か忘れ物でもあったのか?
「そうだそうだ、忘れるところだった」
 そう言うと、胸の前にそっと両手を上げた。大きなボールを捧げ持つような形にしたまま、ぼそぼそと何か言い始めた。何か呪文を唱えているのだろうか。
 何が起こるのかと興味津々で見ていると、手の中の空間にぼんやりと光が現れた。ろうそくの炎ぐらいの明るさの白い光がすうっと大きくなり、球形から箱形に形作られていく。やがて光が収まった後には、小さな箱がニコルの手に収まっていた。テーブルクロスと同じ、薄紫色のリボンがかけられたそれは、たぶんクリスマス・プレゼント。
「はい、これ」
 笑顔でそう言うと、ニコルはそのまま両手で箱を俺に差し出した。受け取ると、意外と重い。ぼんやりしてたら落っことしてたかも。
「これは?」
「もちろん、クリスマス・プレゼントだよ。開けてみて?」
 リボンの片方を引っ張ると、飾り結びがするりと解けた。包み紙を遠慮がちに破いて箱を開けると、中にあったのは銀色の鎖が付いた懐中時計だった。ふたにはきれいな彫刻が施されていて、まん中に紋章みたいな模様があった。
 ふたを開けてみると、文字盤にも細かな彫刻が施されていて、何を示すともつかない不思議な模様が浮かび上がっていた。数字はなく、ただ0時、3時、6時、そして9時のところに青い小さな宝石が埋め込まれている。かちこちという音はせず、秒針はゆっくりと文字盤の上を滑っている。たまに病院なんかで見るタイプだ。
「これ……こんなの、もらっていいのか?」
 俺は半ば呆然とニコルの方を見た。俺の手の中にあるのは、冗談抜きに俺なんかが手にできるような物じゃない超高級品だ。が、ニコルは当然、という風に頷いた。
「アキラのために作ってもらったんだから。大丈夫、意外と大して高いものでもないんだよ」
「ほんとかよ」
 俺はもう一度時計に視線を戻した。今は1時34分ぐらいを差している。ぱたんと閉じてみる。すごく、手にしっくり来る感じだ。顔を上げると、ニコルがじっとこっちを見ていた。どことなく、不安そうな顔をしてる気がする。
「……これ、ありがたく頂いとくよ」
 そう言うと、ぱっと表情が晴れた。その表情の変わり具合に苦笑してしまう。そのまま何となく沈黙があって、ニコルが改めて言った。
「今日は、遅くにありがとね。すごく、楽しかった」
「あ、ああ。俺の方こそ、こんな上等の料理ご馳走してくれた上にこんなプレゼントまで……ありがとな。俺も楽しかった」
 俺も慌てて言った。これだけの料理、普段ならとてもじゃないが食えないし、この時計だってとても買えるものじゃない。それに、ニコルとのおしゃべりもこれまでになく面白かった。今日で終わりにするなんてもったいないぐらいに。
「あの、さ。また今度会えるか?いや、またご馳走してくれって言ってるんじゃなくてな?」
「うん、そんな慌てなくてもわかるよ」
 ニコルはおかしそうに言った。シャルロットも笑顔でこっちを見ている。
「もちろん、全然構わないよ。あたし携帯持ってないからお店の電話番号になるけど……シャル?」
「わかりました」
 すっとシャルロットがこの場を離れると、ニコルは視線を戻して続けた。
「今持ってきてくれるから、いつでも電話して?あ、あんまり遅いと寝てるかもだけど」
「俺がバイト終わるの大体12時ぐらい」
「うーん……ギリギリかな」
「晧様、こちらでございます」
 いつの間にか戻ってきたシャルロットが、わざわざ丁寧な口調で、店の名刺をすっと見やすいところに出してくれた。開店時間は午前10時から午後3時までと、午後5時から午後11時まで。定休日は月曜日。
「わかった。日曜の夜に電話すれば疲れ切ったニコルが出るわけだ」
「疲れ切ってたらあたし出ないよ。フークが出るかも」
「フーク?」
 新しい名前に疑問符が浮かんだ俺に、シャルロットがすぐに教えてくれた。
「フークというのは会計係のフクロウです。私のように話せたり人間形になったりできるわけではないので今日は遠慮してもらってますが」
「……じゃ電話に出る意味ないじゃん」
「でもあの子うるさいの嫌いだから。こないだ遅くにかかってきた時、あの子勝手に受話器外して放っておいてた」
 酔ってて本気で関係ないこと言ってるのかからかってるのかよくわからない。が、まぁいいとしよう。
「では、そろそろ晧様をお送りいたしましょうか。お時間も頃合いですし」
「あ、ここなら道わかるし大丈夫だよ?かえってシャルロットの方が帰り危なくない?」
「いえ、私ネズミですから……」
「いや、猫とか」
 猫、という言葉にぴくりと反応したのは見逃さなかったぞ。
「大丈夫だって。気遣わなくてもいいから」
「じゃ下まで見送るよ」
 不承不承うなずいた感のあるシャルロットを先頭に、3人で階段を下りる。シャルロットが一番下まで降りると、暗かった店内にすっと灯りが点いていく。来た時と同じ、裏口までの道筋を描くような灯りだ。
「じゃあ、電話してね。あたしも暇な時には電話してみるから」
「おう。犬に追っかけられたら俺んちに逃げてこい」
「もう追っかけられないってば!」
「つい先週の話だろうに」
「うー……」
 やっぱりここ突くと楽しめる。が、シャルロットが間に入って取りなしたのでやめにした。
「じゃあまたな」
「ん、じゃあねー」
「お休みなさいませ」
 2人の美女の笑顔と挨拶に見送られて、俺は表通りに出た。後ろでぱたん、と裏口のドアを閉じた音がした気がしたが、すぐ隣をタクシーが走っていったので振り返るのはやめにした。

 続編: 「2分4秒

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2003年02月11日

蜃気楼

「……もう少しだ」
 地平線の向こうにうっすらと見え始めた影に、僕は思わず口に出してそう言った。隣を歩く相棒のロストヴォの首を軽く叩いてやると、ロストヴォも目的地が近いことがわかったのか、首を振って軽くいなないた。
 もう感じていることすら忘れていた、ずふ、ずふと砂を踏みつける感覚が、足の重みと共に戻ってきた。昼間の日差しの厳しさからサンド・パン、と呼ばれるこの辺りは砂漠の割に地盤が固く、先月通った白砂の池ほど靴が砂に沈み込まない。だから比較的歩きやすいけれど、それでも重たい防砂靴で一歩一歩足を進めるのには、やはり気力がいる。サンド・パンに入る前に蹄鉄を付け替えたロストヴォもやはり歩きづらいみたいだけれど、僕と同じペースで歩いてくれている。
 少しずつ尖塔の下の方が見えてきた。細く鋭い塔がだんだん太くなっていく。これまでは、全く何も進まなかった。目の前の風景は何一つ変わらず、ただ、自分の足跡が後ろに流れていくだけだった。たとえ今日一日では着きそうにないとはいえ、一歩の価値がこれだけ見えるというのは僕らの心には水のように働くものだ。

 3つの砂漠に守られた王国。宝を守る龍の住処。様々な呼び名を持つ国、マンゴーン。僕らの視界に少しずつ見えてくる塔は、そのマンゴーン王国の王宮のものだ。周囲の砂漠を我が物とし、そのあまりにも厳しい環境から様々なものを生み出しているマンゴーンは、ただ1つのオアシスから発展したとは思えぬほどに豊かで、そして聡明な国だ。
 自らの版図から生み出された宝石を通貨とし、砂漠のただ中にありながら水と畑を持ち、過酷な立地条件を逆手にとって他国からの侵略を全て防ぎきっている。隣国マヌッサヤとの長い友好関係を非常に大切にし、戦争から経済まで、2ヶ国の協力で回避してきた局面は多い。多くの港湾を持つ海洋国マヌッサヤの強力な経済・運輸力は物資供給だけでなくマンゴーン自身の経済発展のためにも大きな助けになったし、マヌッサヤにとっても砂漠からもたらされる良質の貴金属と化石燃料は主要輸出品目に挙げられるぐらいの商業的成功をあげている。

 塔の全容と町並みが地平線の上に姿をのぞかせる頃には、既に日は沈みかけていた。故郷のある背後の空は赤く、目指すマンゴーンのある前方の空は青い。少しずつ濃くなっていく青に、ぽつぽつと星が見え始めた。見慣れた西方の星の並びは、また少し上の方にずれた気がする。そして今夜は、その星々に向かって掲げられたロッドのように、王宮と大教会の尖塔がそそり立っていた。
「ロストヴォ、今日はここで休もうか。もう十分歩いたろ」
 僕は昼過ぎからずっと動いていた足を止め、ロストヴォの手綱を軽く引いた。ぶるる、と唸って、ロストヴォも足を止めた。ゆっくりと足を折って座るのを見ながら、僕はかばんからあと2日分しかない携帯食料とロストヴォのための大きな深皿を出した。ロストヴォの背中には彼用の食料と2人分の水が載っている。それも外してやって、1枚目の深皿に食料を、2枚目に水を入れた。最後に、スプーンを取ってから自分の分の食料を開けた。

「ようやく、明日か明後日には着くところまで来たよ……」
 隣で眠りについているロストヴォに軽く寄りかかって、僕はひとりごちた。ここのところ、夕食の後で誰に言うでもなくこうやって呟くのが習慣になってきた。
「あの街に、本当に銀の砂があるのかな……噂だけでここまで来ちゃったけど」
 砂漠の星空は、のしかかって来そうなほど大きく、きらびやかな星空と凍てつく寒さを僕らに運んでくれる。
「ノイエ……そろそろ17の誕生日が来るころだね。まだ、待っててくれてるのかな……」
 不意に僕の思いに姿を現した恋人の顔にそう言葉を投げかけて、僕は目を閉じた。星空と白い砂は、身がきしむような寒さの中で、とてもとても静かにそこにあった。

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2002年07月07日

聖母の祈り

 しんと静まりかえった教会で、1人のシスターが無心に祈っていた。ひざまづいた彼女の前に立つのは、後光を背に人々にそっと右手をさしのべた聖母の像。
 目を閉じ、手を組んで一心に祈っていたシスターがその手をそっと胸元に下ろし、視線を上げた。見上げる聖母像はいつものように、慈悲に溢れた笑みを浮かべてシスターを見下ろしている。何も言わずに。
 定例のミサが行われなくなって、もう1年が経とうとしている。毎週日曜日には、このシスターのように神を深く信じる人々がこの教会に集い、神父の説教を聴いて神に祈りを捧げるのが例だった。その神父の言葉が聞かれなくなって、もうすぐ1年。その日はこの街が今のように、血と銃声と土埃にまみれた、その最初の日だ。そしてシスターが毎日のように、街のために祈りを捧げるようになったのも、その日からだった。

 長い間、半ば何が敵かもわからずに戦ってきた。この街がかつての平和な活気を失って、彼が初めて銃を持った日から。彼に銃を向ける者は彼の敵であり、彼と肩を並べる者はそう多くはなかった。そんな中で、彼は毎日の戦いにあるいは勝ち、あるいは逃亡して生き延びてきた。
 そこにルールはほとんどない。死んだ者は敗者であり、生き延びた者が勝者だ。裏切りは、時には大きな恨みと制裁をもって迎えられたが、時には喝采と共に迎えられた。武器はなんでもいい。あらゆる銃器やナイフはもちろん、時にはダーツの矢や酒瓶さえ武器になった。ただ1つ、どんな卑劣な者でも絶対に守る鉄のルールがあった。
 教会の中では、戦闘は行われない。

 きぃ、ときしんだ音を立てて、もう古くなった教会の扉が開いた。シスターが振り返ると、そこには彼が立っていた。いつものように、右の腰にガンベルトを、左の腰には数本の投げナイフを帯び、色あせたジーンズに洗いざらしのTシャツ、革のジャンパーを着ている。いつもなら軽薄な調子で挨拶代わりに冗談の1つも口にする彼が、口を閉ざしたままゆっくりと入ってきた。それに気付いたシスターは、慌てて彼に駆け寄った。
「どうしたのですか!?」
「……いや、大したこたぁないよお姉ちゃん。ちょっとだけ休ましてくんない?」
 にやっと笑う表情はわずかに強ばり、いつも通りの口調はどこか弱々しい。彼の体が離れて教会の扉が、またきぃと音を立てて閉まった。外の光が遮られて、シスターの目に彼の異変がようやく映った。
「――!」
 彼の右肩は、真っ赤なボロ布でぐるぐる巻きにされていた。流れ落ちた血はジーンズまでは届いていなかったから、逆光で気付かなかったのだ。シスターは慌てて彼の上着に手をかけた。
「んぐっ!」
「あ、ご、ごめんなさい」
 思わず傷口に引っかけてしまったりしながら、それでもなんとか上着を脱がし、思わず言葉を失ってしまった。
「すごい血……」
「だーから大したこたぁないってば。……ところでお姉ちゃん、よかったら水もらえる?」
「は、はい」
 ばたばたと、珍しく足音を立てて走っていくシスターの背中を、彼は笑みを消して見送った。笑える余裕は彼にはない。弾は貫通していて止血は既に済んでいる。本当は傷口を洗ってきれいな布と包帯で治療をしたいところだが、水はともかく、きれいな布も包帯もない。後は悪い風が入らないことを祈りながら、自然に治るのを待つしかない。そのために、彼は教会に来た。
 足音がぱたぱたと近づいてくる。水を汲んでくるだけにしては遅かったな、と笑みを準備して顔を上げると、そこには赤い十字の印が入った箱を片手に、水の入った桶をもう片手に持って走ってくるシスターの姿があった。彼の笑みは、痛みとは違う理由で引きつった。

「はい、これで大丈夫です」
 有無を言わせず、シスターは彼の右肩をきれいな水で洗い、消毒液をしみこませたガーゼを当てて包帯で固定した。彼は、慣れた手つきで自分の肩を処置する彼女の手際に、思わず見惚れていた。
「ありがとう……お姉ちゃんすげぇいい手つきじゃん」
 思わず口をついて出た褒め言葉に、しかしシスターは悲しい顔をした。
「……あれ以来、毎日のようにやってますから……」
「そっか。ま、でもおかげで俺は助かったんだし。んな悲しー顔しなくてもいいんじゃないの?」
 内心の動揺を隠してあくまでも軽薄に話す彼を、シスターは少しまぶしそうな目で見た。いつもより少し近い距離に、頬が自然と赤らむ。
「……ありがとう、ございます」
「ところで、水飲みたいんだけどさ、いい?」
 彼はあくまでも軽く言い放つ。シスターははっと口を手で押さえると、部屋に置いてあるコップを取りに、もう一度ばたばたと足音を立てて走っていった。

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2002年03月14日

黄昏の道

 日が暮れかかり、空との境が曖昧な青い平原を、少女はただ1人、歩いていた。裸足の彼女の足下には、歩き慣れた草も砂も石も存在しなかった。少し湿っぽい、柔らかい感触。
 彼女は自分がどこに行こうとしているのか、はっきりと意識しているわけではなかった。ぼんやりと、足の向くままに進んでいたが、何となく、自分が正しい方向に歩いているような気がした。少し、辺りが暗くなってきた。
 少女はいつも好んできている少し汚れたワンピースを着ていた。サンダルは履いたり履かなかったりだったが、無くても特別違和感は覚えない。そして、あらわになっている二の腕から手首にかけて、無数の傷跡がついていた。細い、少し自信のある指は、皮が固くなってはいたが、綺麗だった。肩の辺りで切り揃えた髪も、黒くつやがあった。目元に落ちてきたその髪を払って、少女は歩き続けた。彼女は何も持っていなかった。1ヶ月前、友人にもらって以来ずっと身につけている腕輪が、体と服以外の唯一の持ち物だった。
 もう、目の前の大地と空の境は見えなくなってしまった。少しずつ、闇が世界を覆おうとしていた。少女に不安の色は見えなかった。しかし、彼女はふと振り返った。
視界いっぱいに広がる暁。少女の土に少し汚れた足からずっと続く雲海に、少しずつ沈み行く大きな太陽は、赤とオレンジの間に存在する全ての色の衣を広げ、穏やかに、圧倒的に存在していた。
 少女の足は動かなかった。小さな口を閉じることも忘れ、立ちつくしていた。太陽が姿を消し、その衣の端が見えるだけとなって、彼女は少しだけ、動いた。数滴の滴は、音も立てずに雲海に消えた。そして、衣も消え去った時、全てが闇へと消えていった。雲海も、空も、そして、少女も。

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