2010年01月25日

紺色の襟

 私立誠教[せいきょう]学園。広大な敷地内に、増築に増築を重ねて迷宮のような建物群を形成した、60年の歴史を数える学校。その創立時の校舎は「旧校舎」と呼ばれ、現在は使われることも滅多になくなり、人気はほとんどない。
 その旧校舎の一階の隅にある、教室の札のない一室で気だるげな少女の声がした。
「あ〜……ヒマ」
 その声の主は、思わず零れた呟きをそのまま形にしたように、古びたソファーにだらしなく寝そべっていた。艶やかな黒髪は床にまで流れ落ち、手すりに足をかけて膝を立てているせいで、紺一色のセーラー服のスカートから白い脚が太ももまで見えてしまっているが、当の本人は気にした様子もない。
 実際、気にする必要などないのだった。今はまだ5時間目の授業中。室内には彼女独り。加えて彼女、庚[かのえ]夕子が普通の人に姿を見られることは、よほど特殊な状況でもない限り、ない。何となれば、彼女は幽霊なのだ。
 夕子はわずかに身じろぎして、机ごしにもう1つのソファーを見た。放課後になれば1人の少年が座るそこは、まだ空のままだ。行こうと思えば、キャンパス内ならどこにでも行ける。彼に会いに行くことだってできる。だが、今は出歩く気分ではなかった。
 それでもヒマなものはヒマなのだ。そして彼女の退屈を紛らしてくれるものも、手の届くところにはないのだった。

 3回のチャイムをソファーの上でやり過ごして、さらにもう少し。足音が1つ、ゆっくりと近づいてきた。脚を下ろしてスカートを直し、ゆったりと座り直した。悠然と入口を振り返ると、見事なタイミングで引き戸ががらりと動いた。
「こんにちは、夕子さん」
「来たわね、貞一君」
 現れた男子生徒は夕子に当然のように挨拶をすると、夕子の向かい側のソファーに腰を下ろした。同時にあくびが漏れるのを手で隠す。
「どうしたの?なんだか眠そうね」
 訊きながら思いつくに任せて、貞一のあくびが収まるのを待たずに付け加えた。
「怖い夢でも見て眠れなかった?」
「ち、違いますよ!」
 夕子の悪戯っぽい笑みに、貞一は心外そうに否定した。普段はわりに整った顔立ちなのだが、こういう表情になると急に子供っぽく見える。自分の期待に十分応えてくれたことに満足すると、夕子はすっと立ち上がり、貞一の隣に腰を下ろした。隣と言っても少し間を空けて、ソファーの端っこに。
「どうしたんですか?」
「眠いんでしょ?少し寝たら?」
 そう言って自分の膝をぽんぽんと叩いてみせると、貞一は慌てて首を振った。すぐに頬が真っ赤に染まる。
「そんな、い、いいですよ!」
「遠慮することないわ。前にもやったじゃない」
 前、というのは2人が出会った日の翌日、初めて2人でお昼を食べた時のことだ。
 そう言われてぴたりと動きを止めた貞一を手を伸ばして引き寄せると、貞一はまだ頬を赤らめたまま、それでも素直に横になった。この世のものならぬ夕子の太ももは、貞一の頭を優しく支えた。
「すみません……それじゃ、少しだけ」
「いいわよ、ゆっくり休んだら」
 優しく声をかけ、細い指で髪を梳いてやる。程なく寝息を立て始めた貞一の顔をじっと見つめる。初めて見る貞一の寝顔に、思わず頬が緩む。
 放課後の喧噪からも遠いこの部屋には、木々の鳴る音が入ってくるばかりだ。
 しばらく見つめていて、夕子は眠気の理由を聞きそびれたことに気付いた。

 貞一が目を覚ましたのは、もう日が傾いて部屋の中にまっすぐ入ってくる時間だった。
「……ん……くぁ……ふ」
「あ、起きた?」
 夕子の声に、まだ眠そうな声で「はい」と答えて、ゆっくりと身を起こす。そこでようやく少し目が覚めてきたようだった。室内を染め上げる夕焼けの色に気付いて、ぱっと時計を見た。
「あれ、うわ!もうこんな時間!」
 慌てた様子で夕子に向き直って謝った。
「すみません、長いこと寝ちゃって……」
「何で謝るの?わたしが寝たらって言ったんだし、貞一君が謝る必要はどこにもないわ」
 貞一ならこう言うだろうな、ということは予想していた。あまりにもそのとおりだったのがおかしくて、笑いが漏れる。貞一もその様子を見て、それ以上何か言おうとはしなかった。
「それで貞一君、今日はどうしてそんなに眠そうだったの?」
「あ、さっき言ってませんでしたっけ。本読んでたら止まらなくなっちゃったんです」
「何の本?」
 夕子は特に考えずに訊いたのだが、貞一はわずかに口ごもった。
「え、その……友だちから借りたファンタジー小説です。もう返しちゃったんで手元にないんですけど」
「ふーん……」
「そういえば、この間から夕子さん、昔の制服着てますよね。最初に会った時は今の制服だったのに」
「そうよ?今頃気付いたの?」
 ずずっと近寄ると、貞一は焦りの表情を浮かべた。それは急に話題を変えたせいか、単に夕子が近づいてきたからなのか。
「いえ、その、どうしてかなって……」
「貞一君が前にこっちの方がいいって言ったからじゃない。わたしにはこっちの方が似合ってるって」
「え……?」
 貞一は眉をひそめた。そんなことを言った覚えがない。すぐ近くからじーっと見つめられながら、必死で記憶を探す。まだ2週間足らずしか経っていないのだ、いくら慌てていても掘り起こすものはそれほど多くない。やがて、それらしいことに思い至った。前に膝枕をしてもらった日。初めてこの制服を着てみせてくれた日のこと。

――なんだか、この方がしっくりきますね。

「あ、あれでずっとこの制服を着てたんですか!?」
「そうよ?だって、わたしのことを見てくれるのは貞一君しかいないんだもの」
 貞一はその言葉にハッとする。そして、どう返事をしていいのか迷った様子で、わずかに視線を落とした。
「だから、ね」
 夕子はするりと貞一のそばを通り抜けると、手すりにちょんと尻を載せて、貞一を後ろからそっと抱きしめた。
「貞一君にはずっとそばにいて、ちゃんとわたしのことを見てほしいな」
「……はい」
 頬に息がかかるくらいの距離に振り向くこともできず、背中に押しつけられた体の柔らかさと暖かさに真っ赤になって、それでも貞一は頷いた。

+fanfiction of [黄昏乙女×アムネジア]by めいびい

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posted by alohz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]二次創作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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