2008年05月18日

ミクと新曲

『キョー君。ねー、キョーくーん』
「んぁ?なんだよ」
 パソコンに向かっていた俺は、後ろからのしっと抱きついてきたミクを振り返った。ちょっと首を伸ばせばキスできるくらいの距離で、ミクは子供みたいにぷくーっとふくれていた。
『早く曲作ってよー。最初の1曲は素敵だけど、もう1ヶ月経つよ?そろそろ他の曲も歌いたいー』
「だからそれに向かって努力してんじゃねぇか」
 俺がそう言うと、ミクは不審そうな目でパソコンの画面を見た。立ち上がっているのは iTunes とテキストエディターだけ。
『どこが!先々週くらいっから全然キーボード弾いてないし録音ソフト立ち上がってないし、アイチューンもただ聴いてるだけじゃん!』
「これだ、これ」
『メモ帳?でもこれ歌詞じゃないでしょ?』
 うちのミクは iTunes もちゃんと言えないしメモ帳とアウトラインエディターの区別もつかないおばちゃん頭だが、目端は利くのだ。今の行数を見たのだろう。そりゃあ縦書き表示にして画面端まで一杯に文字を入れて、150行を超える歌詞はオペラくらいでないとあり得ない。それにオペラなら縦書きにはしないだろう。
「うん。これは次の原稿」
『次?』
「次のイベント」
『ミクの?』
 急に目が輝いて、弾んだ声を出した。いまいちよくわかってないフシはあるものの、ボーカロイド関連のイベントなら嬉しいらしい。が、残念ながら違うのだ。
「いや、創作オンリー。ミク出てこない」
『なんでよ!』
「なんでもなにも」
 またしてもふぐみたいにほっぺたが丸まったミクと至近距離で目を合わせた。かわいく俺を睨むミクに言ってやる。
「俺そもそも物書きだもん。創作メインの」
『……』
「演奏するのは好きだけど、曲はあんまり作れないんだよね」
 ほっぺたがぷしゅっとしぼんで、代わりに目がまん丸になった。
『ええーっ!?』
「やかましい」
 こん。
『あうっ』
 耳元で叫びやがった。至近距離での高周波の一撃に少し耳がわんわんする。軽く小突いてやって声は収まったが、勢いは全然収まってない。
『じゃ、じゃあ何でミクを買ったの?』
「いや、あの曲を歌ってほしくて」
『1曲だけ!?』
「1曲だけ」
 俺が少し前に作った曲を誰かに歌ってほしかったのだが、数少ない友人は忙しすぎて俺の道楽に付き合ってくれなかったのだ。そんなときに“初音ミク”の存在を知ったので、幾ばくかのお金で呼び寄せた。
「その時はな。ま、そのうち別のを作ることもあるだろうなと思ったし。その時はお前が歌うために作るつもり」
『……そ、それは嬉しいけど、そのうちって……』
「それを近づけるために頑張って原稿やってるんだろ?これが終わったら何も気にせずに音楽に打ち込める」
『打ち込み苦手なくせに』
「ぃやかましい。誰がうまいことツッコめと」
 ミクのよく伸びるほっぺたをむにーっと伸ばしてやりながら、もう片方の手でデスクトップに並んでいるショートカットの1つをクリックした。表示されたフォルダの一番上のファイルをクリックして、ミクのほっぺたを解放した。
「ほら、聴いてみ」
『ぅー……何の曲?』
 これくらいでは赤くもならない頬をなでながらパソコンをのぞき込む。ディスプレイの両隣に置いたスピーカーからピアノのイントロが流れ始めた。
 まだピアノしか録っていないから曲の雰囲気と大まかな進行ぐらいしかわからない。それでも、ミクは穴が空くほどディスプレイを見ていた。1分半で曲が止まると、ミクは期待に満ちたまなざしで俺の方を振り返った。
『ひょっとして……次の曲?』
「そ。まだメロディーで決まってないトコもあ――」
『キョー君!』
 俺がしゃべり終える前に、ミクが前に回って正面から思い切り抱きついてきた。まだ完成までかなりあるというのに、すごい喜びようだ。
「こらこら、まだ早いっての」
『だぁって、嬉しいんだもん!ミクのこと、ちゃんと考えてくれてたんだぁ』
「当たり前だろ?毎日目覚まし時計代わりじゃさすがに悪いしな」
『えへへ。完成するの、楽しみにしてるね?』
 腕を緩めて、とろけそうなほどの笑顔を俺に向けた。こんな顔をされてしまうと、俺も何か喜ぶようなことを言ってやりたくなる。
「ほら、そろそろ原稿してもいいか?さくっと終わらせて続きやりたいからさ」
『うん♪』
「なに、今10ページ目に差しかかるところで、分量的にはあと15ページくらいだ」
『……』
「ん?どうし――おわ!バカ、泣くな!冗談だっての!」
『ううー……ひっ、キ、キョー君のっ、いじ、わるっ……!』
 俺はとりあえず作りかけの新曲をもう1回流して、ひぐひぐと変な声で泣いているミクの背中をなでてやるのだった。……余計なこと言わなきゃよかった。

posted by alohz at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]ミクと俺と音楽と | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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