2006年08月04日

板塀の道を抜けて

 夏の夜中。うるさいセミは寝付いたし、外はそれなりに涼しい。清少納言も「夏ってやっぱ夜よねー」とかなんとか言っていたような気がする。しかし、こんな時間に外を歩くのはそうあることじゃない。
 街灯の下で、持っていた葉書を見た。筆で手書きされているらしい地図では、もう少し行った先の公園に印がついていた。葉書といったが、そして事実それは葉書サイズの少し厚めの紙なのだが、正規のルートを通って届いたものではないのだ。無論、誰かに手渡されたわけでもない。
 起きたらそばに置いてあったのだ。住所も切手もないが、宛名だけは書いてあった。間違いなく俺の名前だった。しかも美しい字だった。裏面にはこの地図があり、『今夜25時、こちらまでおいで下さい』と、これも美しい字で書き添えられていた。
 誰に渡されたわけでもなく、差出人を示すものは何もなかった。捨ててしまってもよかったのだが、それでもなんとなくずっと持ち歩き、日が変わった頃合いに起き出して、こうして夜の散歩をしている。
 当然だがこんな夜中には誰もいない、と思ったが、意外にそうでもないらしい。車も走っているし、ワイシャツ姿の疲れた男とすれ違ったりする。……勤め人ってのは大変だ。

 公園にはさすがに人影もない。それほど大きい公園ではないが、遊具がいくつかあったり砂場があったりして、昼間は親子連れと犬の散歩でそれなりに人が多い。しんとしているのはさすがに夜だけだ。
 腕時計は、集合時間の20分前を指していた。ちょっと早過ぎだ。何が起こるとも知れないが、ベンチにでも座って待とう、とベンチの方を向いて、思わず体が硬直した。人がいた。
 入り口の方からは見えなかったが、白い和服を着た女性がベンチに座っていた。寝ているのかいないのか、目を閉じて動かない。膝に何か抱えていて、細い棒のようなものが脇にはみ出している。
 どうしたものかと思ったが、数秒迷って、近づいた。彼女がこの葉書の差出人であるかもしれない。
 そばに寄って口を開きかけたとき、不意に彼女が目を開いた。思わず驚いた俺と目が合う。と、彼女は俺の持っている葉書に視線をやって、破顔した。
「あら、ずいぶん早いんですね。お若いのに……」
 自分はもっと若いんだろうに、そう言ってコロコロと笑った。
「あ、じゃやっぱりあなたがこれ……」
「ええ。私がお渡ししたんです。すみませんけど、時間までもうちょっと待っていただいていいですか?今日はあと4人来られることになってますから……」
 そう言って、彼女は俺に隣に座るよう促した。呆気にとられて頭が回り出さないまま、とりあえず俺は腰を下ろした。ふわりとかすかな香りが届いた。彼女の香水か。
「私、結衣と申します。今日の案内役です」
「あ、俺、三田村義弘です」
 つられて挨拶をして、頭を上げてから、彼女が書いた葉書に俺の名前が書いてあったことを思い出した。ようやく頭も回り始めたらしい。
「あの、今日の、って、今日はなんで呼ばれたんですか?」
「え、ご存じないんですか?」
 結衣さんは本気で不思議そうだ。……知ってるはずのことなのか?
「ええ、なんとなく来てはみたんですけど」
「……」
 どうやら知ってるはずのことらしい。でも今日何かあったという記憶はないし、この葉書に書いてある以外に何か聞いたり見たりした覚えもない。
「ええと、こう言うのも何ですけど、あなたは――」
「あのー」
 誰かが横から急に割り込んできた。呑気そうな爺さんの声に俺は思わず非難がましい視線を向けた。
「あんたが案内人の方ですかいな」
「あ、私です。結衣と申します」
「おお、かわいい案内人さんですな。では、よろしく頼みますわ」
 爺さんは今日のことを知っているようで、旅行に行く前のような調子で言った。結衣さんもツアーガイドのような風情で笑顔を見せている。
「で、ですね」
「あ、はい」
 結衣さんがこちらに向き直った。
「結論から言いますと、私はこれから義弘さんを含めて5人の方を、黄泉の国へご案内します」
「黄泉……つまり死ぬってことですか!?」
 あまりのことについ声を上げたが、結衣さんは微笑んで首を横に振った。
「もうあなたは既に亡くなられてますよ。今日のお昼間、事故に遭われたのを覚えてませんか?」
「事故……」
 事故、と言われて、ようやく少しずつ思い出してきた。昼間、バイトに行く途中に、隣を走っていた車にいきなり横からぶつかられて、ド派手にこけた。そして――
「……あれ?こけて、それから……」
「対向車線に飛び出してしまい、トラックに轢かれたんです。ヘルメットにすごいヒビが入ってましたよ」
「……ぅぉ……」
 想像しただけで気持ち悪い。そう言われてもその時のことは思い出せないが、たぶんそうなのだろう。俺は、とっくに死んでいた。
「死んでた……ってことは俺来週のライブ!」
「?」
「うああああ出られねぇ!つーかバンド自体出られないじゃねーか!来週じゃ穴埋まんねーよ!」
「!?」
「おおおお……せめてあと1週間待ってくれたら……!」
 いきなり悶え始めた俺にさすがの結衣さんも驚いたらしい。かなり引き気味だ。
「あの……大丈夫ですか……?」
「大丈夫かどうかといえばきれいさっぱり大丈夫じゃないです」
「まぁその、お若いですから気持ちはわかりますが……」
 気を遣ってくれるが、ポイントが微妙にずれている。
「結衣さん、俺行くの1週間だけ待ってもらえませんか?来週の土曜の夜にまた来ますんで」
 俺のお願いに、結衣さんは少し悲しそうな顔をした。
「すみません、今日行く方は今日でないといけないんです。別に私が連れていったら亡くなるわけじゃなくて、もう亡くなってますから、今日行かないとこのまま亡霊になっちゃいます」
 一瞬亡霊でも何でもいいや、という気になった。それを察知したのか、少し慌てた様子で言った。
「あ、ダメです。亡霊になっちゃったら黄泉の国に入るのに一度穢れを落とさないといけなくなります。火で焼いて、熱湯でふやかして、それからこそげ落とすんです。麻酔なしで」
「……じ、地獄じゃないですかそれ」
「そうです。地獄は黄泉の国の大浴場なんです」
「風呂ならリラックスさせてください……」
「じゃあ洗濯場」
 ぐうの音も出ない。
「それに、そこに入るまでも大変なんです。成仏も自力でできなくなりますし。ですから、今日お連れします」
「はい……」
 心の中でバンドメンバーに土下座しながら、俺は頷いた。さすがに頷くしかない。
 不意に、周りの空気が変わった。
「あら、時間ですね」
 結衣さんはそう言って、膝に抱えていたものを手にした。引っ張り上げると、ぱたぱたぱた、と小さな音を立てて広がっていく。提灯だった。中に手を入れると、ぽっと火が点った。
 準備ができて、結衣さんが立ち上がった。俺も立ち上がりながら周りを見渡すと、さっきの爺さん以外にも人がいた。ご老体ばかりだ。まぁいいことだろう。
「皆さん、お待たせいたしました。それではご案内しますので、ついてきてください』
 そして、浴衣姿で提灯を提げた結衣さんを先頭に、爺さん3人と婆さん1人と俺、というよくわからない一行は夜の町を再び歩き始めた。
 俺はこの町で生まれ育っているから、自分の行動範囲以外でも多少の地理はわかる。が、結衣さんの先導で辿っていく道は、すぐに俺の見覚えのない道になった。
 結衣さんは時々後ろを振り返って、迷子がいないか確かめるように俺たちを見回す。
「もう少しです。ちゃんとついてきてくださいねー。ここではぐれちゃったら、ちゃんと成仏できませんから」
 怖いことをにこやかに言って、再び歩き出す。いつの間にか青白い鬼火が彼女の周りに漂い始め、提灯でオレンジ色に染め上げられていた彼女の肌が、本来の透き通るような白い色を取り戻した。
 一歩一歩、一行は黄泉の国へと進んでいく。前を歩く結衣さんのうなじの白さと、時折視界を通り抜ける鬼火の青さに、頭の中が少しずつ空っぽになっていく気がした。
 たまに横道がある、まっすぐな板塀の道を進んでいく。戻ろうか、という迷いはもうない。仲間へのすまない気持ちも消えた。
「そろそろですよー」
 結衣さんの声に頷いたときには、もう心は言葉になっていなかった。わずかに、スティックを握ったときの感触を思い出し、それも残り火のようについとかき消えた。

posted by alohz at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]ファンタジー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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