2004年11月15日

The Rock Star

 「サラマンドラ・ラストステージ」というポスターの貼られた300人収容の会場には、観客がひしめいていた。下手をすると踊る隙間もないほどの超満員。メジャーデビュー直後に、女性絡みでスキャンダルを起こして解散せざるを得なくなったバンドのラストライブとは思えない熱気に、会場主が驚いたほどだ。
「いっぱい来てるわ」
「嬉しいことじゃない。最後なんだし、多けりゃ多いほどいいよ」
 袖に観客の様子を見に行っていたベースのリザが戻ってきた。少し緊張した面持ちの彼女にドラムスのカイトが気楽に応じると、そうね、と気が抜けたように笑った。この最後の時に和やかなのはこの2人だけだ。スタッフは自分の仕事を完璧にするのでピリピリしているし、残る3人のメンバーにも笑い合う余裕はなかった。リザたちを咎めるでもないが、応じようともしない。
 リーダーであり、リードギターのハイルはメンバーの誰よりもこの日を忌避していた。自分が集めた初めてのバンドであるサラマンドラでメジャーデビューまでこぎつけた時は、まるで夢の中にいるような気分だった。と同時に、自分の宝物を手にしたばかりの少年のように、そのことを誰よりも大切に思い、メジャーシーンに執着していた。日々の練習やライブの手配だけでなく、プロモーションとしての様々な活動にまで手を広げる必要があれば、第一にハイルが動き、他の4人の尻を蹴飛ばすように動かした。
 だからそれをあっさりと粉々にしたスキャンダルに、ハイルは猛烈な怒りを覚え、それを隠そうともしなかった。仕方なくやったことではない、不誠実さと不注意から起こったことだ。発覚した時点では致命傷になるとは限らなかったが、デビュー直後で実績がなかったことと、人脈のなさが凶と出た。事務所はスキャンダルの原因となったヴォーカルのケイジを切るよう指示したが、それはハイルにとって解散指示と同義だった。
 咎め立てたハイルと、基本的に悪いことをしたとは思っていないケイジは激突した。実際に、口で言い合うだけでは収まらず、事務所の一室でつかみ合いになったのだ。リザとカイトはすぐに退避したが、リズムギターのシンは間に入って必死で止めた。止めた結果、頭に血が上っているハイルにもケイジにも散々ののしられた挙げ句、押しのけられたはずみで眼鏡を割ってしまい、危うく失明するところだった。様子を窺っていたカイトがすぐに連れ出し、幸い大事には至らなかったが、2人の間に立った者の気まずさがずっと残っていた。

「はーい、本番5分前でーす!」
 スタッフの声に、5人は無言のまま一斉に立ち上がった。一度袖に集まってプログラムの最終確認をし、体と心の緊張をほぐす。やがて観客席の証明がすっと落ちた。間断なく続いていた観客のざわめきが、わぁーっという歓声に変わる。スタッフの方を一度窺ってからカイトがまず駆け出し、すぐにリザが続く。シンは一瞬とまどってからその後を追う。ハイルは厳しい顔を崩さないままケイジを振り返った。ケイジは何も答えない。ハイルも何も言わずに、ステージに駆け出した。4人がそれぞれ楽器を構えた。それを確認して、ケイジもファンの前に姿を現した。

 インディーズバンドのライブだとは想像できないほどの熱気が会場に充ち満ちていた。このバンドの姿を見るのは最後、というだけではない。この場に集まった客の半数以上は、実はサラマンドラを見に来たのではなかった。客席が暗くなり、全員の視界にステージが浮かび上がった。その時を迎えた観客は、歓声でメンバーを迎えた。
 このバンドは余計なタメを嫌う。すぐに1人ずつステージに駆け込んでくる。まずはドラマーが、続いてベーシストが。この順番も常に一定だ。それぞれのファンや関係者がより大きな拍手や歓声を上げる。リズムギター、そしてリードギター。4人が楽器を構え、すぐにでも演奏できる状態になると、ヴォーカルがゆっくりと入ってくる。その瞬間、これまでの4人への歓声をかき消すような叫びが会場全体から上がった。
「今日で終わりだ!」
 ケイジが叫んだ。轟音のような歓声がぴたりと止んだ。もう一度、ケイジが叫んだ。わぁっと一声だけ、観客が応える。
「思いっきり行くぜぇ!」
 その声が消えるか消えないかのうちに、カイトがハイハットでカウントを入れた。4つの楽器が同時に吠え、観客の声に高められながらの最後の音が流れ始めた。

 ハイルはじっとケイジの横顔を見つめていた。体はリズムを取り、ギターを操っているが、その視線は手元でも客でもなく、マイクを両手で握りしめてかじりつくように歌うケイジの姿を追っていた。メインスピーカーを通じて会場に響き、モニターから自分の方へと返ってくる声は、かつてハイル自身が身震いするような驚きを感じた力を全く失っていなかった。むしろ日々の練習やライブを重ねてきたことで技術も喉も鍛えられたのか、輝きを増している気がする。それが嬉しくもあり、悔しくもあった。とびきりの原石は自分のバンドの中でより大きく育った。そのケイジに自分の曲を歌わせられるのはこれで最後だ。

 ケイジはほとんどトークを挟まず、ほんの一言二言叫ぶだけで次の曲へ移る。実際喋って繋ぐのは苦手だからなのだが、サラマンドラでは無理をする必要はない。曲の数も集中力も、DJが繋いだように切れ目のほとんどない演奏に十分耐えうるからだ。ライブ中にケイジが最も心地よく感じるのはこのことだ。歌いたいと思えば、いくらでも歌える。そして曲も演奏者の腕も、ケイジの求めるレベルを十分クリアしている。
 サビを歌いきり、ハイルの指が指板を踊る。機関銃のように流れ出る音にケイジは乗るだけでいい。ハイルは悔しさも怒りも、そして喜びも全てをごちゃまぜにしてギターに載せた。一瞬閃いた理性が、フレーズの途中で一度だけ顔を上げさせた。リザと視線が合った。それを意識すると、すぐにギターに意識を集中した。
 ケイジは乗るだけでいい。リザの視線に乗って送られた指示のままに、カイトとシンはリザのアドリブのフレーズにタイムラグなしで合わせた。楽譜上では16小節しかないはずのギターソロが、当然のように17小節目を通過していったのだ。カイトはソロの間中、穴があくほどハイルを見つめている。次から次へと流れてくるソリストの音にポリリズミックなフレーズを当てていくための、カイトの癖だ。そのカイトをリザとシンは冷静に見つめ、揺らぐビートを抑えて揺るぎない基盤を構成する。
 ソロが終わりに近づいているとは客は思わなかった。それでもハイルのソロに絡むように入ってきたケイジのヴォーカルは、そのまま半分ソロのように音量を絞って弾き続けるハイルの意図をしっかりと掴んでいた。そのまま楽譜に戻り、曲は終わりに向かう。

 ライブの終わりは、これまで発表したことのない曲だった。聞いたことのない曲名とモニターにどっかと腰を下ろしてしまったハイルの姿に、客は一様にざわめいた。イントロはざわめきにかき消されそうなほど静かなフレーズだった。ディストーションを切ったエレキギターは鎧を脱いでしまったような細身の音だ。それにケイジの歌が入った。もうざわめきはない。どれほど驚いていようと、ギターと声が一体化したような音に聴き入るしかなかった。
 最初は立って歌っていたケイジも、すぐにハイルの隣に腰を下ろした。最初は定位置を動かなかった残り3人もそれぞれに動いた。シンはそっとギターをエレアコに替え、リザはステージの真ん中に座る2人に寄っていった。カイトは立ち上がると、ドラムセットの影に置いてあった一対のウッドブロックを片手に、椅子をもう片手に持ってドラムの前に出た。椅子をリザに差し出して座らせると、自分はその側に立ってウッドブロックを両手に持ち直した。
 これまでに一度もやったことのなかった編成だった。シンがアコースティックの音でソロを取り、機械のようにロングトーンを鳴らすリザの隣で、カイトがこれも機械のようにウッドブロックを3拍目に打ち鳴らす。ソロが終わるとシンは音を止め、4人が残った。3人の伴奏を得てケイジは、深い水の底のような、静かで穏やかな別れを歌い続ける。そこには既婚の女性と浮気をしていた男の俗な臭いはなかった。
 音が止み、同時に照明がすっと落ちた。一瞬、止みと静寂とがライブハウスの中に訪れた。それが染み渡った瞬間、爆発するような歓声が起こった。アンコールの手拍子が響き始めるが、それを拒絶するように、通常照明が観客と誰もいなくなったステージを照らし出した。

 ライブを終えた後、スタッフに5人で挨拶に回った。これまではそれぞれに挨拶を交わしてはいたが、こうやって全員で回ることはなかった。最後だから、とハイルが連れて回っているのだ。こういうことはあまり好かないケイジも、神妙な顔で、とはいかないまでも大人しくついてきて、一緒に頭を下げて回った。
 それも終えて、自分たちの片づけが終わると、5人は揃ってライブハウスを出た。室内の猛烈な熱気に慣れている体には、10月の夜の空気は寒いほどに感じられる。普段なら反省会を兼ねて飲みに行くのだが、今日はなんとなく最寄り駅に向かって歩き出した。ライブの後の心地よい脱力感と寂寥感とに包まれて、駅に着くまで誰も口を開こうとはしなかった。
 ケイジ、ハイル、シンの3人が一方、カイトとリザがもう一方に乗る。一本しかないホームはそれなりに人が立って、思い思いに電車を待っていた。ライブ自体が終了してから結構経っているので、客にぶつかることはなかった。そうでなければ、まだ誰もこの5人に気付くことはない。
 ケイジたちの乗る電車の方が先に着いた。駅内のアナウンスでホーム全体が騒がしくなった。
「じゃあ、またな」
「おう。またどっかで一緒にやろうな」
 ハイルが手を挙げると、カイトがにこやかに応じた。続いてシンと、そしてケイジと握手を交わす。リザも極力明るく、別れの言葉を口にした。
「オマエらさ、俺がこれまでやった中で一番うめーよ」
 ケイジの言葉は唐突だ。最後まで変わらないその調子に、リザは思わず笑った。カイトは正面から褒められて少しはにかんだ。
「じゃーな、ケイジ」
「おう」
 3人はドアが閉じられる寸前に順に列車に滑り込んだ。と、最後のケイジの肩がドアに引っかかった。ぐお、と呻いたのがカイトの耳にまで届いた。思わず先に乗っていた2人が両側からドアを押さえながら、なんとかケイジの体を中に引っ張り込んだ。駆け込み乗車はおやめ下さい、というアナウンスと、残ったカイトとリザの笑い声に見送られて、電車はするすると駅を離れていった。

posted by alohz at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]音楽的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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