2004年06月18日

夢を見た

 私は荒野にいた。これまで見た事もない、本当の荒野だった。そこら中に転がった石とちょんちょんと生えた枯れかけの草、それだけ。不思議と前だけを見続けていた。地平線が視界の上下を分けるようにくっきりと見える。どこからか風の音がした。と思うや、目の前の荒野全体から一斉に鳥が飛び立った。荒野に見えた大地が波打ち、私の目の前で空に向かって散らばっていく。鳥たちは飛び去ろうとはせず、辺りを低空で羽ばたき続けた。ごうごういう風の音に耳を、膨大な数の黒い鳥の影に目を埋め尽くされ、私は狂いそうなほどの感覚の蹂躙をただ黙って受けた。

 気が付くと、そこは元の荒野だった。風も鳥ももういない。いや、鳥はまた地面に戻っただけかもしれない。とにかく、視界一杯無音の荒野だった。地平線には、お互いわずかに離れて並んでいる人影。40、50人はいるか、何をする出もなく、コートを風にはためかせたりちょっと体を揺らしたりしながら、ずっと立っている。私はそれをじっと見続けていた。どこからともなくぴーっという音が聞こえてくる。頭を直接こするようなその音が段々大きくなるに連れて、視界全体がゆっくりと光を帯び、白くなっていった。

「って夢を見たんだ」
「変な夢だな」
 私の話を聞いた母の一言目がそれだった。私もすごくそう思う。ついでに言うと、どうしてそんな夢を見てしまったのかがよくわからない。その夢の光景は不思議と目にしっかり焼き付いているが、それを思い返しても一度も見た覚えがない。
「いつだか父さんの本でも見たのがあるんじゃないか?あいつの本、特に美術館とか博物館のカタログは訳わからん絵やら写真が山ほどあるからな」
「あー、そうかも」
 私は納得して、父の部屋に目をやった。母もたまたま同じタイミングでそこに目を向ける。その部屋の主はウィークデーのハードワークのしわ寄せでまだ寝ている。週頭に倒れた時にはどうしようかと思ったが、意外にあっさりと復活した。それでもまだ仕事が終わったわけではないので、昼間は前と大して変わらないペースでやっているようだ。その代わり、夜は母に無理矢理寝かしつけられているらしい。自業自得、というか何というか。
 11時を回ってようやく起きてきた父に、もう一度同じ話をしてみた。父は、ほう、と一言答えたきり、何やら思考の海に沈んでしまった。目覚めのぼんやりはいつもの事なのであまり気にならないし、こないだ倒れた原因にもなった学校のPC環境はまだまだ整いきらないらしいので、そっちの考え事でもしているのだろうと思って放っておいた。テレビのニュースは相変わらず減らない殺人事件を報じていて、母はお昼の準備をするか、と席を立った。私もそれを手伝うために台所に向かった。

「思い出した」
「え?」
 夕べの残り物の豚カツにサラダというちょっと適当な昼食も半ばを過ぎた頃、父が唐突に言った。あまりにも唐突すぎて、どう反応していいのかわからない。
「何だったんだ?やっぱりお前の本か?」
「うん、よくわかったね。前にニューヨークに行った時にホイットニー美術館でさっき言ってたようなイメージを見た事があったんだ。その時にカタログも買ったから、それだと思う」
「え?え?」
 父の台詞から遅れる事45秒。ようやく話の内容に思い当たった。父は1時間近く私の夢の事を考えていたのだ。時間が経ちすぎていて私の方が失念していた。いつもの事だが、母はよくすぐに反応できるものだ。
「でも、そんなの最近読んだかなぁ?」
「なんか似たようなのを見なかったか?」
 じっくり考えてみると、心当たりがあった。美術の資料集の中にそんな写真があったような気がする。そういうと、父も母も納得したように頷いた。
 食後に、父が持っているという美術館のカタログを見せてもらった。父の開いてくれたページを見ると、確かにまるで私の夢の断片を切り取ったかのように、寸分違わぬイメージが並んでいる。資料集の写真とは少し違ったから、昔何かの機会にこっちの方を読んだ事があったのかもしれない。
「ところで、これいつ買ったの?」
「学生の頃だな。旅行で向こうに行った時に買ったんだ」
 父は現在既に40を回っている。学生時代という事は10代後半から20代前半だ。‥‥普段はよく会う近所の人の名前も思い出せないのに、よくも20年前の事を覚えていたものだ。私はそれほど厚くないその本が少々古ぼけて埃っぽくもなっているのに気付いて、小さくため息を吐いた。
 午後から寛子と会う用事があって外出した私はその日ずっと、街中のアスファルトが何の前触れもなく羽ばたき始めるような気がして仕方がなかった。

注記:この物語はニューヨークにあるホイットニー美術館の作品を見て、あまりに印象的だったのでその時のスケッチをそのまま使ったものです。が、黙ってお借りした上に作者・タイトルを覚えておりません。原稿が手元にないので何とも言えませんが、当時メモしたかどうかも定かではありません。カタログは実在しますが未購入なので、中にこの作品がどのような形で載っているかはわかりません。既に載ってないかも……。

posted by alohz at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]日常の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。