2003年09月01日

漫画喫茶

――しんと静まりかえっていた廃工場のプラントが加山の声に呼応して動き始めた。足下からエンジンのかかるグイィーッという音がしたかと思うと、工場全体が唸っているような雑音がタカシの耳を包む。
「お前……」
 視線を戻すと、加山はいつもの薄ら笑いを浮かべて、きれいに直立していた。不意に背広のポケットを探り、小さな玉を1つ取り出した。手の平に乗せてタカシに示す。
「……ビー玉?」
「おやおや、あなたがそうおっしゃるとは思いませんでした。覚えていらっしゃらない?」
 加山の視線が一瞬鋭さを増す。
「これは鍵ですよ」
 雑音が響きわたる廃工場の中で、2人の男はじっと向かい合っていた――

「ふぅ」
 パタン、と漫画を閉じた。誰も口をきかない店内には、遙か昔に流行を過ぎたダンス・ミュージックが静かに流れている。俺は手の中の漫画をテーブルの上の山の一番上において、山を丸ごと持ち上げた。支えを抜き取られて傾いている本を指先で立てて、そのまま手の中の5冊を一気に突っ込んだ。
 外に出ると、相変わらずのジリジリした熱気と、飽きずに行き交い続ける車の音が俺を迎えてくれた。ありがた迷惑な歓迎に一瞬止まった足が動き始めると、その地面を踏んだ感触がいつもと違うことに気付いた。なんとなく頭が宙に浮いて、1枚薄皮に包まれているような感覚。覚えがあった。
 高校の頃、親しい友人の少なかった俺はよく図書館で本を読んでいた。予鈴が鳴って本を閉じ、本棚に戻してドアを抜けた瞬間、そして教室に戻るまでのわずかな間、いつもこの感覚を味わっていた。当時はざわめきを BGM に SF ばかり読んでいた。今はわずかな音楽とエアコンの音を BGM に漫画を読んでいる。それでも、全く同じ感覚を当時も今も持っている。
 火星や月やあり得ない現在に持っていかれた心が、まだこの体に戻りきっていない。非現実から戻りきっていない、あるいは外の世界と薄皮1枚分離れている。懐かしい感覚に思わず昔を思い出して、笑みが浮かんだ。

posted by alohz at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]旅の言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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