2008年12月01日

歳末大放出祭

 単に歳末というだけではない。ここのところの景気の悪さはニュースや新聞の中から俺を始めとする中流以下のサラリーマンたちの財布の中にまで浸食してきていたからだろう。近所にあるショッピングモールは、セールのチラシを見てきたのだろう、主婦や家族連れでごった返していた。
「こりゃあ晩飯の買い物するだけでも一苦労だぜぇ」
「でも、冷蔵庫は今朝のめざしで空っぽになったよ」
 うちの小さな主婦の一言に俺はため息で答えた。日々の買い物はこいつが適当にやってくれているが、やっぱり土日のどちらかにはまとめ買いをしたいらしい。
「とりあえず食料品は後回しだ」
「あ、じゃあ3階」
「ん?ワイシャツはまだ買うようなことないだろ?」
「……あたしの下着」
「ああ、そっか。同じフロアか」
 紳士服かと思った。
 結[ゆい]に財布を渡して自分で適当に買いに行かせ、俺は戦場になっているワゴンセールを遠巻きにしながらエスカレーターのそばでぼーっと待っていた。自分の分の買い物が特にないと暇だ。
 大して迷うこともなかったのか、結はわりとすぐに戻ってきた。
「早かったな」
「そう?」
 それでもちょっと髪が乱れている。下着売り場はそれほどでもないと思ったが、それでもこのセールを待ってた主婦どもがたかっているんだろう。特に背の低い結は全力を出さないと通り抜けたりできなさそうだ。
 髪を手ぐしで梳いてやりながら、エスカレーターに向かう。ワゴンセールにたかる人だかりからは、何やら怒声まで聞こえてきた。げんなりしながらそっちに向かう。
「お兄ちゃん、そっち逆」
「ん?」
 結に服の裾を引っ張られてよく見ると、確かに反対だ。わざわざ好きこのんで騒ぎの中に突っ込む気があるはずもない。
「すまん」
 きびすを返した瞬間、ぱぁんと乾いた音がした。一瞬、フロア中の空気が凍り付いた気がした。瞬時に解凍されて、振り返った。人だかりのどこからか鳴った、ように聞こえたのだ。
 もう一度、同じような音がして、ようやくそばにいた奴らが悲鳴を上げた。1人が上げれば一気に連鎖する。そして、それでスイッチが入ったかのように、人の波が動き始めた。
「結!」
 頭に置いていた左手を細い腰に回すと、結もすぐに俺の首にかじりついてきた。その背を右腕で包んで抱え上げ、走る。どこへ?
「まだ銃持ってる……!」
 ささやくような結の言葉が耳に届いて、俺は足を止めて周囲を見渡した。フロア中が一個所に集まりつつある。下りエスカレーターに。
「結、誰かにぶつかっても許せ。あと奴らがこっち向いたら教えろ」
 期待はせずに、それでも声をかけておく。
「うん」
 どちらの方にか、とにかく結は頷いた。それで十分だ。
 客の隙間を縫って、俺はひたすら連中とは違う方に足を運んだ。また銃声が響く。と同時に、エスカレーターの方で新たな悲鳴が上がる。
 撃ち合いをやってる連中の姿を横目で確認した。黒人の兄ちゃんと日本人の兄ちゃん、どっちも女連れで、どっちも相手のことしか見えていない。弾が当たってるのかどうかはわからない。
 阿鼻叫喚が徐々に遠ざかっていく。エスカレーターの周りにこのフロアの客のほとんどが移動したのだ。一部は階段から逃げただろうが、ワゴンが置いてあるのが階段寄りだったからそっちは少数だろう。
 俺はといえば、可能な限りかがんで、向かい合っている2人のほぼ垂直に当たる方向に逃げていた。
 正直背筋が死にそうだが、結が流れ弾に当たったら最悪だ。今は連中との間に服を吊ってるハンガーがあるだけだ。一番近くの棚まで必死で走る。どうにか革靴の棚の陰に滑り込んで、一旦足を止めて深呼吸する。
 もう一度ワゴンの方を確認してから、大きく息を吸い込んで、店員の控え室に駆け込んだ。
「きゃぁっ!」
「ぅわあっ!」
「すまん、ちょっと避難させてくれ!」
 中にいた店員は一様に悲鳴を上げたが、俺が結を抱えていたのがよかったのだろう、すぐに奴が乱入してきたのではないとわかってくれた。
「奥にいてください」
「ありがとう。結、下りろ」
「うん」
 こういう時、結には悪いが結がこういう子でよかったと思う。まともに育った中学生なら泣きわめいてもおかしくない。
 それでも、俺にしがみついていた結は小さく震えていた。下りた結を抱き寄せてやると、がばっとしがみついてきた。奥に移動するのは難しそうだ。諦めて、ドアのそばの壁に背中をつけた。
 店員の1人が恐る恐る俺に声をかけた。
「外は……」
「客はほとんどエスカレーターに避難してる。2階が大混乱だろうな。撃ち合ってる奴らはどっちも弾が体に当たってたから、たぶんそろそろケリがつくだろ」
「そ、そうですか……」
 彼もその他の店員たちも一様に安堵の表情を見せた。
「警察には?」
「連絡しました。もう間もなく着くと思います」
 幾分落ち着きを取り戻した声でそう言って、結に笑顔を見せさえした。一方の結は、それに応える余裕はまるでない。初老の店員には目もくれずに、ひたすら俺を見上げている。ゆっくり頬を撫でてやると、少しだけ腕の力が緩んだが、視線は緩まなかった。

「お兄ちゃん」
「ん?」
 そう声を出せたのは、警察がぞろぞろと来始めてからだ。
「どうしてこっちに逃げたの?出口ないでしょ?」
「外に出なくてもよかったからな。撃ち合ってんのはどっちも一般人だったし、サシなら他の連中にわざわざ銃口向けたりしないだろ。どっちかっつーと怖いのは逃げてる奴らだ」
「逃げてる人?」
「怖くて逃げた奴ってのは見境ないからな。倒れた人がいたら遠慮無く踏んでいく。あんな人数に踏まれたら誰でもぺっちゃんこだ」
 警官が控え室に来たので、俺は一旦口をつぐんだ。結もそれに気付いて、視線をドアの方に向ける。
「こっちは……、えー、皆さん怪我はないですか?」
「ないっすよ。こっちはみんなすぐに中入ったから」
「そうか、それはよかった。後で皆さんに事情を聞きたいので、すみませんがここでしばらく待っててください」
 まだ若い警官はそう言い残してばたばたと出ていった。俺は結を両手で抱きしめてやってから続けた。
「大半が逃げたのは下りのエスカレーターだろ?下り階段を全力疾走したら1人や2人は転ぶ。ましてエスカレーターは動いてるしな。それであの人数だ、将棋倒しになるのは目に見えてる」
「だからこっちに……」
「そうだ。俺も一瞬外に出ようとしたけどな、お前のおかげで助かった」
 無表情に話を聞いていた結が、意外そうにまばたきした。
「あたしの?」
「お前の声が聞こえたから、それに気付いたんだ。あん時お前の声が聞こえなかったら俺もあっち行って、下で死んでたかもしれない」
 膝立ちになって結と視線を合わせた。こうすると結の方が少しだけ背が高くなる。
「ありがとな、結」
「……ありがとう、お兄ちゃん。また助けてくれた」
 ほんの少しだけ微笑んだ結を抱き寄せると、いつものようにふわっと抱きしめられた。
「何度でも助けてやるよ。俺の娘だからな」
「うん。お父さん」
「……でも呼ぶ時は兄ちゃんて呼べ」
 結が耳元でくすりと笑った。
posted by alohz at 01:02| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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