2009年01月25日

双子星の紡ぐ音

 薄暗いライブハウスの階段を、咲子は春香の背中を頼りに下りていった。斜め下、狭い階段を下り切ったところの足下には窓があって、ガラス越しにステージが見える。今はスクリーンが下りていて、パソコンのスクリーンセーバーのように次々と変わる幾何学模様が映っていた。
 思わずじっと目で追っていると、横から春香に呼ばれた。
「咲子、ワンドリンク500円」
「あ、うん」
 窓の方に気を取られて、そばに受付があるのに気付かなかった。春香に急かされて、座っていた女の人に千円札を渡すと、おつりとドリンクチケット、チラシの束が入ったビニール袋を手渡された。
 もう一度階段を降りると、また窓。今度はステージが正面に見えた。もうかなりの人が、窓の中にも外にも立っている。
「春香、飲み物もらってこようか」
「あ、お願い」
 春香の分のドリンクチケットも受け取って、階段の裏側にあるカウンターに近寄った。メニューを見ていると、前の人にコップを渡した黒人のおばさんがこちらを無表情に見つめてくる。
「あ、えーと……こ、コーラ2つお願いします」
 視線に押されるようにして、慌て気味にそう言った。咲子は普段なら炭酸飲料はあまり飲まないのだが、アルコールが入っていないのはコーラぐらいしかないのだ。
 ぬっと突き出された分厚い手の平にチケットを乗せると、おばさんはすぐに大きめのコップを2つ取って、コーラを一杯に入れてくれた。
「Thank you」
「あ、ありがとうございます」
 いつも行くファーストフード店なら M サイズのコップを持って春香のところに戻る。また何人か客が増えたようだった。
「あ、ありがと。中入っときましょ。前埋まっちゃうかもしれないし」
 そう言ってすっと人の間を抜けていく春香にくっついて、防音扉の中に入る。中にはテーブルがぽつぽつとあるが、どれも先客で埋まっていた。2人は最前列、演奏者の足下に陣取った。コーラは手に持ったままだ。ステージの少し手前に柵があるから、その辺りに置けるかな、と咲子は見て取った。
 今はスクリーンに隠れているステージを見透かすように見て、咲子は春香に訊いた。
「2人でどんな演奏するのかな」
「あの2人のことだから、バラードばっかりなんてことは絶対ないし、テクノ寄りになるんじゃない?」
「テクノ?生楽器なのに」
「音もそうだけど、構成が、よ。京子さんはエフェクター使うぐらいだろうけど、小川さん、ドラム叩くかもしれないし、リズムマシン使うかもしれないわね。あの人なら何でも持ってそうだもんね」
 春香はそう言って、自分で言った構成ならどうなるか、と音を想像し始めた。咲子には『テクノ寄り』な音楽がどういうものか、にわかに想像がつかない。そもそもテクノを意識的に聴いたことがないのだ。
 気がつけば自分たちの隣にも人が立っていた。後ろを振り返ると、さっきはテーブルの周り以外は比較的空いていたのに、外にいた人がほとんど入ってきているのか、入り口のドアや窓が見えないくらい混んでいた。
 BGM がすーっとフェードアウトすると、スクリーンが音もなく上がり、ざわめきが拍手に変わる。ステージには2人が丸椅子に座っていた。三春はギター、小川はベースを抱え、アンプが背後に置いてある。弾き語りができるように、それぞれにマイクが置かれている。それだけだ。
 三春がゆっくりと歌い出す。楽器に腕を乗せたまま、歌声だけが響く。小川のコーラスが重なり、耳馴染みのない、どこか哀愁を帯びたメロディーを飾る。そのままアカペラで一曲歌いきった。咲子にとっては伴奏のいらない、完璧なハーモニーだった。
 わき上がるような拍手が収まると、2曲目がカッティングギターとスラップベースのイントロで始まった。さっきの曲もそうだが、この曲も聴いたことがなかった。
 だが、三春が歌い出した瞬間、咲子は弾かれたように春香の方を振り返った。春香は三春の方を驚きの表情で見つめ、やがて咲子の視線に気付いてこちらを向いた。アレンジこそまったく違うが、春香が書いた曲なのだ。2人同時にステージに視線を戻す。
 春香よりも低くて太い三春の声は隙間の多い伴奏でさらにその力を際立たせ、躍動感の強い伴奏と相まってまるで聴いたことのない曲のように響く。それなのに、メロディーは間違いなく春香が自分の声で作ったものだ。
 曲が終わり、拍手が落ち着いてくると、三春がマイクに口を寄せた。
「ありがとう。1曲目は Roaming Sheep、2曲目は黄金色の鍵、とお送りしました」
「1曲目は某有名ゲームのイメージソングで、2曲目は僕らとバンド組んでる子のオリジナルです。これは京子さんの希望で今日やったんですけど、元の曲とは全然違うアレンジにしました」
 三春に続いて小川が曲の説明をした。それを聞いて、咲子は思わず春香に耳打ちした。
「三春先生が選んでくれたんだね」
 嬉しそうな咲子とは対照的に、春香は難しい顔で頷いた。
「これくらいやれよって言われた気分だわ」
「そうかなぁ……単純に気に入ってくれたんだと思うけど」
 足下でこそこそと話しているのが聞こえているのかいないのか、ステージ上の2人はお互いおしゃべりでもしているような調子で次の曲紹介に入った。
「さて、じゃー次は2曲続けてやります」
「あれ、次3曲じゃなかった?」
「そうだっけ」
「そうだよ。決めたの昨日なんだからちゃんと覚えててよ……」
 三春はいつもどおりだが、小川はいつもよりずいぶんラフな口調だ。
 呆れ顔で言って笑いを誘う小川に、三春は「いいんだよ、2曲で!」とぴしゃりと言って、小川が何か言うより先に弾き始めた。
 小川は大げさに慌ててベースを構えると、まるでずっと待ちかまえていたようなタイミングで弾き始めた。そのままミドルテンポのポップな曲を2曲弾くと、三春は拍手に「ありがとう」と答えてギターから手を離した。本当に2曲で止めてしまったのだ。
 咲子はどこからどこまでが打ち合わせをしてあったのかわからなくなってきた。三春の言い方が本気なような気もするが、小川の対応を見ていると台本どおり、という気がしてくる。
 と、春香がそっとささやいた。
「京子さん、本気で忘れてたわね。あんな強引なこと、デュオじゃなかったらできないわ」
「あれ、元々2曲だったんじゃないの?」
「小川さんならともかく、京子さんよ?仕込んで意味があるネタじゃないし」
 目の前に本人がいるのにすごい言い様だが、咲子もついつい同意してしまった。
「さて……あ、そーか3曲か」
「え?何が?」
 ステージ上では、三春が次の曲を言おうとして、突然思いだしたように言った。
「いや、これで曲紹介してメンバー紹介してラスト2曲って考えてたのに、1曲余るな」
「今思い出したの!?」
 がっくりと突っ伏した小川に会場中がどっと湧いた。咲子はおかしい反面、なんだか恥ずかしくなってきた。
「ま、いーや。じゃあラスト3曲やります」
「の、前にメンバー紹介を」
 平然と言った三春にかぶせるように小川が割り込んだが、これは予定どおりなのか、三春は当然のように次の言葉を待った。
「ギター、三春京子」
 三春が手を上げると、わっと拍手が湧いた。それが収まるのを待って、今度は三春がマイクを近づけた。
「ベース、小川和紀」
 再び拍手が湧いた。咲子が精一杯拍手している横で、春香は自分も手を叩きながら真剣な顔で耳を澄ませていた。
「大体同じくらいね」
「何が?」
「拍手の量」
「……そりゃそうよ」
「人気に差があると如実らしいわよ」
 あくまで真剣な春香の意図がよくわからず、咲子は曖昧に頷いた。
 じゃあ改めて、と言って三春が弾き始めたのは、ゆっくりとしたアルペジオ。ギターの底を支えるように、ベースも同時に入った。
 A メロは小川1人で歌った。ここまでずっとコーラスだけだったが、三春のような特徴のある声とは違う、アクの少ない声がバラードに乗ると、すーっと頭に入ってくる感じがする。
 サビに入ると三春がメロディーを引き継ぎ、小川はハーモニーに回った。咲子は急に2人が入れ替わったのにあれ、と思ったが、すぐに納得した。小川の音域ではちょっと高すぎるのだ。しかし、力強い三春のメロディーに低い音で合わせたハモりはぴたりと合っていて、高音域から逃げているようにはとても思えなかった。
 ブリッジは2人交代で、最後のサビは再び三春がメロディーを取って、終わった。拍手が収まるのを待って、今度は小川が先に弾き始めた。さっきまでは客の方を見たり、お互いの方を見たりしていた2人が、気付けばどちらも顔を伏せていた。
「……これ、何拍子?」
 咲子は思わず春香に訊いてしまった。音の長さもフレーズも不規則で、どこまでが一小節なのかわからない。
「たぶん……8分の7」
 答えてはくれたが、春香も自信はなさそうだ。それも三春のギターが入ってきたときに崩れた。思いも寄らないタイミングで入ってきたからだろう、春香があれ、という反応をしたのが咲子にもわかった。歌は入ってこない。
 咲子にはもう今出ている音がどういう構成によるものなのか、さっぱりわからない。ただ、頭の中にまとわりついてくるような音の流れに囚われながら、短い前髪に隠れて表情の見えない小川の手をじっと見つめるだけだ。それでも、わずかにアクセントはあれど滔々と流れるベースと、逆にメロディーらしきフレーズを飛び飛びに入れるギターとの絡み合いは、まったくつかみ所がないのに不思議と不快ではなかった。
 不意に音が消えた。全員が虚を突かれたのだろう。曲が終わったのだ、と最初に気付いた誰かが手を叩くまでに、数秒かかった。拍手が始まったとき、三春と小川が同時にふっと顔を上げ、目を合わせてにやっと笑い合ったのが見えた。
 最後の曲は、一転してストレートなロックだった。ディストーションとファズで歪んだ弦の音に三春の力強い声が重なり合う。それに時折コーラスが入る。アクセントやブレイクを駆使してドラムがないことを感じさせない2人の演奏は、前の曲で感じたぼんやりとした感覚からはほど遠い緻密な構成を見せつけるようだった。
「ありがとうございました!」
「ありがとう!」
 最後の音の残響が消える暇も与えずに、2人は素早くアンプからシールドを引き抜き、拍手に見送られて下手の袖に並んで消えていった。遅れて、スクリーンが下りてくる。照明も戻って、アンコールをかけていた一群が諦めるのに合わせて、咲子は手を止めて、思わずほうっとため息をついた。
「すごかった……」
「2人であれだけやれるんだもんね……」
 春香も呟く。春には咲子と春香も同じフォーマットで演奏した。だからこそ、自分たちとの差がはっきりとわかる。
 2人はしばらく動かずに、氷が溶けてやたらと薄くなったコーラをちびちびと飲んだ。
「咲子、一旦出ましょ。次のバンドを聴きに来た人にここ譲んないと」
「あ、うん」
 春香に言われて、咲子はまた春香にくっついて外に出た。ぼーっとしている間に結構人は動いていたらしく、さっきはいなかったグループが入り口のそばでしゃべっていたし、咲子たちのいた最前列はすぐに別の人が陣取った。
「先生たち、出てくるかな」
「ちょっと待てば出てくるんじゃない?」
 ざわざわと狭いところに人がひしめく中、2人はたばこの煙を避けてすみっこに立っていた。結構知り合い同士も多いらしく、あちこちで挨拶したり親しげにしゃべっている。もちろん、2人の知り合いは1人もいない。
「あ、出てきた」
 手持ちぶさたできょろきょろしていた咲子は、奥の階段から2人が上ってくるのを見つけた。春香もわかったらしかったが、その場を動かない。
「他にもいろいろ知り合いとかいるだろうし、ちょっと待ちましょ」
 春香はそう言って、2人の方を見ていた。春香の言ったとおり、階段を上りきるとすぐそばにいた2、3人のグループが2人に気付いて話しかけ、2人も親しげに言葉を返した。そうして次々に言葉を交わす2人は、咲子の知っている教師としての2人とはまるで違う人のようだった。
「ああ、2人とも来てくれたんだな。ありがとう」
「よう。ああ春香、『黄金色の鍵』借りたぞ」
 やがてやってきた三春の第一声に春香はすぐに反応した。
「次無断でやったら使用料取りますよ」
「来るって聞いてたからビビらそうと思ってな」
「しかし、てきめんだったね」
「すげー顔してたもんな」
 三春も小川も、全然悪いと思っていない様子で笑う。春香は恥ずかしそうに食ってかかった。
「当たり前でしょ!イントロ全然違うし誰も自分の曲やるなんて思わないわよ!」
「でもあたしあの曲、特に好きだからさ」
 春香がぐっと詰まった。そんな春香を、三春はわしわしとなでた。いつもならすぐに振り払いそうな春香が、されるがままになっている。きっと三春も振り払われるとは思っていないのだろう。
「なんか2人、姉妹みたい」
「ホントだねぇ」
 咲子が言うと、小川もしみじみと頷いた。
「お、京子ちゃん娘さん?」
「……ぶっ殺すよ?あたしがいくつだと思ってんだ」
 後ろから声をかけた中年のおじさんに、三春は一転してぎらりと鋭い視線を向けた。おじさんはまるっきり意に介さない。
「ああ、教え子か。京子ちゃんの子にしちゃちょっと大きいと思った」
「ちょっとで済むか。せめて妹とか言えねーのかよ」
「いやそれは無理」
 咲子の感想をおじさんは即座に切って捨ててしまった。小川も苦笑していた。
 咲子はそういえばまだ今日の感想も言っていないと気付いて小川の袖を引いた。
「今日の演奏、すごかったです」
「ん、ありがとう。今日はまぁまぁうまくいったかな」
「まぁまぁ……」
 あれ以上があるんだろうか。咲子は2人が最高だった、と言う演奏が想像できなかった。
「あ、最後から2曲目って、あれ何拍子だったんですか?全然わからなくて……」
「あれは8分の7とハチロクを適当に混ぜてた。1曲ぐらいああいうの入れないと物足りなくてさ。ポップス路線でもよかったんだけど」
 7拍子は普通に考えても変拍子だが、それにさらに8分の6拍子を混ぜたと言う。まだ3拍子も満足に弾けない咲子には想像もつかない世界だ。
「適当にって……楽譜見ないでよく弾けますね」
「そりゃ自分で作った曲だからな、覚えてるよ」
「三春先生は?」
「京子さんは本能で覚える人だから。楽譜書けない曲でも弾けるんだからおかしいよなこの人」
「ん?なんか言ったか?」
「何にも」
「三春先生はすごいって話です」
「なんだそりゃ。今更何言ってんだか」
 しれっと言う。それが根拠のない自信には見えないから、この人は本当にすごいのだと思う。そして、そういうことを口では言わない小川も、楽器を手にした姿は自信に満ちている。
 咲子は春香と一緒に、階段を上っていった。時間も遅くなってきたので、次のバンドは聞かないで出ることにしたのだ。
「もっとうまくなんなきゃな」
 春香は、賑やかな夜の街に溶けてしまいそうな声で言った。
「そうだね。あんな人たちと一緒にやれるんだもんね」
「それに、曲も書かないと」
 咲子の相づちは耳に入っていないような、そんな呟きだった。それも仕方ないかと、咲子は今度は返事をしなかった。咲子にはまだ曲を書いたりアレンジしたり、というような作業には手が届かない。ベースをうまく弾けるようになるしかない。
 それに、春香はきっと今、感動しているのだ。三春が好きだといってくれた曲は、春香と咲子がたった1回だけ、デュオで演奏した曲だ。三春はその曲を聴いて、自分たちを認めてくれた。
 三春の知るあの曲は、作ったときの想いだけでなく、2人で必死で練習した時間と想いもこもった曲なのだ。

posted by alohz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]音楽的 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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