2007年06月05日

彼女を笑わせる方法

「うちのクラスには天使がいるじゃねーか」
 なんて恥ずかしいことを真っ昼間から言い出したのは、深山だ。2年に進級して1ヶ月が過ぎた頃、このクラスでよかった、としみじみ言うので何かと思って聞き返したら、そう言ったのだ。
 深山の言う天使というのは、小野田みゆきのことだ。親切で人当たりのいい、おっとりとしたお嬢さんだ。秀才で顔もかわいいのだが、周りの女子の話を聞くと運動神経はイマイチらしい。
 クラスの中でも人望があるのだが、深山のように天使扱いしている奴は滅多にいない。背丈は平均くらいでプロポーションが特にいいということはなく、制服をきっちりと着て眼鏡をかけて、と地味な印象があるせいかもしれないし、姿が見えなければ図書館にいる、というくらいに本好きだからかもしれない。滅多に、というのは、深山だけではないのを知っているからだ。言い換えれば、俺も彼女が好きなのだ。
「小野田さんかわいいよなー……」
「そうだな、かわいいな」
 それまではそんな話ついぞ聞いたことがなかったので、読書に縁のないサッカー少年の深山がどうしたことだろうと思いながら、俺も同意した。ぱっと人目を引くことはなくても美少女だし、優しさと笑顔を絶やさない温かい雰囲気がいい、というのが俺たちの共通の見解だ。
 それからしばらく、2人が寄れば一度は彼女の話が出る、と言う日々が続いた。とはいえ、結局のところそれは2人の間でだけだ。周囲にそれを広めるでもなければ、本人にもっと近づこうということもない。少なくとも2人で結託して彼女にちょっかいをかけることはなかった。
 そんなある日。朝礼前に寄ってきた深山が不意に妙なことを言い出した。
「小野田さんの怒った顔ってどんななんだろうな」
「……あ?」
 眉をひそめて俺の机に腰掛けている深山を見上げると、さすがに唐突だと自分でも思ったのか、すぐに説明を始めた。
「いやさ、小野田さんっていっつも笑ってるじゃん。たまに真剣な顔してたり困った顔してることもあるけど、怒った顔って見たことないなーって思ってさ」
「……まぁ確かに俺も見たことないけど、他の女子でも怒った顔なんてほとんど見たことないぞ。お前あるか?」
「……ないな」
 深山は素直に認めた。が、すぐに反論してきた。
「でも、他の奴らって大概不機嫌な顔ぐらい見たことあるだろ。でもお前、小野田さんの不機嫌な顔なんて見たことあるか?」
「んー、確かにない」
 今度は俺が認める番だった。深山はそら見ろ、という顔で俺を見た。
「しかし、これまでそんなだったらたぶん見ずに終わるよな」
「……だよなぁ」
 そろそろ夏休みも近づいてきた。この学校は各学年でクラス替えがあるから、来年も続けて同じクラスになれる確率はそれほど高くない。現に去年は俺も深山も小野田とは別のクラスだった。
 ため息をついた深山だったが、何か思いついた顔でこっちを見た。
「お前ちょっと小野田さんのこと怒らせてみない?」
 ぼそりと言った。俺は呆れて深山を睨んだ。
「お前ね……自分が怒られるのやだからって俺に振るかそれを」
「いいだろー?きっと俺たちの天使はすぐに許してくれるよ」
 俺は言い返そうと口を開いて、声が出る寸前で止めた。タイミングよく教室のドアが開いて担任が入ってきたので、深山は怪しむ前に机から降りると、にっと笑って自分の席に戻った。
 深山の申し出は誰が見ても馬鹿馬鹿しいことだったが、俺は受ける気でいた。人の縁は何でもきっかけがあれば動くのだ。それこそ、こんなくだらない提案であっても、だ。それを自分にとって一番いい結果にするために、俺は考え始めた。

 3、4限は2時間続きの美術の授業なので、美術室に移動だ。その前の休み時間にはがたがたと教室中が騒がしくなる。数学の三春が教室を出るなり、俺はすぐに深山のところに行った。
「深山、お前クロッキー帳忘れたことにしろ」
「んあ?」
「朝の話、やってやるから協力しろ」
 小さな声でそう言うと、深山は小声でわかった、と言った。こういうところはきちんと合わせてくれる。これでみんなに聞こえる声で返事でもしたら即中止するところだ。
「んじゃ誰かに借りるか……」
 俺はわざとらしく聞こえないようにそう言って、教科書片手に小野田の席に行った。いつものことだが、小野田は教室移動となるとしゃべってなくても最後の方になる。思ったとおり、ようやく美術の教科書を出したところだった。
「小野田ー」
「あ、大野君。何?」
 少し高めのゆったりした口調で名前を呼ばれるのは心地いい。俺はすまなそうな顔で言った。
「悪いんだけどさ、先週うっかりクロッキー帳持って帰っちゃって持ってくるの忘れたんだ。1枚分けてもらえない?」
「ああ、うん。いいよ。1枚でいいの?」
 小野田は俺の言葉を疑ってもいない様子で頷いた。すぐにかばんや机の中に手を伸ばさないところを見ると、ロッカーに置いてあるのだろう。俺はちょっと迷った風を装って付け足した。
「ごめん、できれば2枚。深山の奴もないらしくてさ」
「ふふ、やっぱり。じゃあ2人分あげるね。後ろに置いてあるから、ちょっと待ってて」
「うん。ありがとう。助かるよ」
 そう言いながら、俺は緊張し始めていた。小野田がすっと席を立つ瞬間に、周囲をざっと見渡した。教室に残っているのはあと5人。小野田とよく一緒にいる香田は彼女を待っていたようだったが、俺を見てから小野田の方を見て、誰かと一緒に出ていった。わずかな間をおいて、俺は小野田のかばんの中にすっと手を突っ込んで、手に取ったものを教科書の影に隠した。深山に後ろに行くように手振りで示しておいて、音を立てないように自分の席に戻った。手の中のものを自分の机の中にすっと隠すと、その前に筆箱を置いてすぐに自分のロッカーに向かった。
 俺たちが自分のロッカーを開いて絵の具箱を取っているのに気付いて、小野田が顔を上げた。
「あ、絵の具箱はあるんだ?」
「う、うん。こっちは突っ込んだんだけどさ。ごめんねー」
 深山が慌てて答える。俺は中に入れっぱなしのクロッキー帳が見えないように注意しながらロッカーから絵の具箱だけを出した。深山も一緒くたに出さないようにと苦心している。この馬鹿。
「ああ、そんなに丁寧に切らなくても、適当でいいよ」
「ん、きれいに切った方が気持ちいいじゃない?」
 俺が深山と小野田の間に立って手元をのぞき込むと、小野田は丁寧に2枚切り取って、俺に渡してくれた。背を向けている間に俺のしたことに気付いた気配はなかった。今更申し訳ない気がしてきたが、既に行動してしまった。あとは昼休みに俺がどれだけうまく立ち回れるか、だ。

 美術の時間はあっという間に過ぎていく。合間の休み時間に一旦教室に戻ると、深山も呼んでいないがついてきた。
「どうする気なんだよ?」
 わくわくしながら訊いてくる。俺は首を振った。
「お前はネタ知ってたら顔に出るから秘密だ。お楽しみに」
 深山は俺の答えに不満そうな顔をしたが、俺がごそごそとやっているのを見てあきらめたのか、教室を出て行った。俺は休み時間ギリギリまで教室に残って、滑り込みで美術室に戻ると筆を取った。これで下準備は完了。
 絵は苦手だ。ギターを弾く方がよっぽど簡単だと思う。小野田の方を見ると、驚くほどうまいというわけではないが、俺の前にある絵なんかよりはずっとまともな風景が描かれていた。絵筆を握る彼女の横顔は真剣だ。いつもの天真爛漫な笑顔もいいが、こういう表情もいい。
 そんな風に余所見をしたり考え事をしていたりしたら、俺の絵はほとんど進まなかった。見れば深山はそれなりに進んでいる。なんとなく文句を言いたくなったが、さすがにただの八つ当たりなのでやめて、さっさと美術室を出た。
 小野田はどのみちゆっくり出るのだが、絵の具箱の片付けでロッカーを開け閉めしているときにクロッキー帳が見えるのでうまくない。
 教室に着いたのは一番ではなかったが、特に注目もされていないうちにさっと片付けたので気付かれなかっただろう。何気ない顔で席に戻って、深山と小野田を待つ。深山も程なく戻ってきて、弁当片手に俺の後ろの席に陣取った。
「小野田は?」
「まだ向こうにいたけど、そろそろ戻ってくるんじゃねーか?」
 ニヤニヤしながら言う。これで俺が失敗したらはり倒そう。
 そうこうしているうちに小野田が戻ってきた。香田と話をしながらロッカーに道具をしまって、自分の席に戻ろうとする、そこに声をかけた。
「小野田ー」
 手招きをすると、小野田は優しく微笑んで寄ってきた。
「どうしたの今日は」
「ごめんな何度も。いや実はコイツが小野田さんに怒られてみたい!とか言い出してさ」
 そう言って深山を指さすと、小野田は不思議そうな顔で深山を見た。深山の方は、小野田に正面から言うとは思いもしなかったのだろう、飛び上がらんばかりに驚いた。
「怒られたい?」
「あ、いやその……お、おい!テメェ、俺そんなこと言ってねぇじゃねーかよ!」
「そこで、悪いとは思ったんだけどちょっとしたいたずらをしてみた」
 焦る深山をきっぱりと無視して続けると、小野田は眉をひそめた。
「何したの?椅子にボンドでも塗ったの?」
「いや、だったら座ってから呼ぶって」
 俺は思わず苦笑した。昨日の晩、テレビでやってた映画を観たのだろう。俺も観た。
 俺は机の中から小野田のかばんから抜き取った弁当箱を出した。目の前に掲げて、いかにもからっぽのように振ってみせる。
「うまかったよ」
 小野田は目をまん丸に見開いて、「あっ」と小さく声を上げた。
「うそ……食べちゃったの?」
「はいこれ」
 俺は直接答えずに、弁当箱をそのまま小野田に差し出した。呆然とした顔で受け取った小野田は、ちゃんと持ったはずの弁当箱を取り落とした。
「わっ」
「ほい」
 それを受け止めて、改めて差し出すと、目をぱちくりさせて弁当箱を見た。予想外に重かったからだ。もう一度、今度はしっかりと持って、顔を上げた。
「……もう!食べてないんじゃない!」
 小野田はそう言って口を尖らせてみせた。俺は声を出さずに笑って、
「いや、だってさすがに3、4限の間だけで食べきるのは無理だよ。一日何も食べられないのは悪いしさ」
「びっくりしたぁ」
「怒るんならこいつに」
 深山を指して少し身を引くと、深山は嬉しいようなばつが悪いような顔で謝った。
「もうこんなことしないでね、2人とも」
「「はーい」」
 小学生のように声を揃えて返事すると、毒気を抜かれた顔で自分の席に戻っていった。待ちかねた香田に「どうかしたの?」と聞かれて、小野田はちらっとこちらを見た。すぐに香田に向き直って、なんでもないよ、とだけ言った。
「優しいなぁ、小野田さん……」
「俺への感謝は?」
 小野田の子供っぽい怒り方とさっきの言葉に感激している深山は、それを反芻しながら弁当の包みを開く。俺はその頭を軽くはたいて、自分の弁当に手を伸ばした。嬉しそうにゆっくりと食っている深山を尻目に、俺は大急ぎで自分の弁当をかき込んで席を立った。

 その日の放課後、このときばかりはいそいそと帰り支度をしている小野田の机に、小さなビニール袋を置いた。
「……いたずらの続き?」
 じろっと見上げてくる。さっきと違って、本当に警戒している顔だ。そんな顔もかわいいと感じる俺は、深山のことを笑えない。が、これ以上機嫌を損ねられるとそれこそ笑えない。
「いや、そのお詫び。昼休みにちょっと出て買ってきたんだ」
 そう言うと、意外そうな顔で、机に置かれたビニール袋をのぞき込んだ。中身がわかるや、小野田の頬がふにっと緩んだ。彼女のお気に入りのケーキだ。
 しかし、顔を上げた小野田は、今の笑い顔がすとんと抜け落ちたような無表情だった。
「大野君、あたしが食いしんぼだと思ってるでしょ」
「……なんで?」
「お弁当だって男の子みたいにたくさん食べるし、それでもケーキの2つや3つ食べられると思ってるんでしょ?」
「いや、だから昼休みに渡すのはやめたんだよ。普通に弁当食べた後で出されても食えないだろうと思ってさ。だからさっきまで食堂の冷蔵庫に入れてたのを持ってきたんだし。それに別に小野田が特別食べるとは思ってないぞ」
 俺は思わぬ反応に焦って言い訳したが、小野田の視線はちっとも温かくならない。
「うそ」
「ほんとだって」
「でもあたしのお弁当見たでしょ?」
「見たよ」
「とても食べきれないって」
 その瞬間、俺はようやく理解した。あの時わざとらしくふくれて見せたのは深山のために怒ってあげたのではなかったのだ。
「5分で全部食べて元通りにきちんと包み直すのは無理だ、って言ったんだよ。授業に遅れたらあれだしさ。時間制限がなきゃそんな大した量じゃないし、特に多いとも思わないって」
「……本当?」
「本当だよ」
「……ならいいけど」
 小野田はそう言って、冷たい視線を俺から外した。俺はできるだけ表に出さないように、ほっと息を吐いた。きっと今の透き通る刃のような表情が、彼女の怒りの表現なのだ。楽しいなんてとんでもない。
「これ、せっかくだからもらうね」
「うん。食べてちょうだい」
 小野田はそう言って、かばん片手に立ち上がった。ケーキの袋はもう片方の手で大事そうに持って。
「小野田、今日はほんとごめんな。いろいろ振り回したり、気付かずにひどいこと言ったりして」
「……うん。ちゃんと謝ってくれたし、許したげる」
 顔を上げて、俺の目を見てそう言ってくれた小野田の表情に、ようやく微笑みが戻っていた。それはいつものかわいらしいそれではなくて、思わずどきっとするほどに艶やかな微笑みだった。

posted by alohz at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | [短編]恋愛模様 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。